南京事件とあずまたんとウェブの裏手
さすがにこれはないと思うんだよな。
南京問題はあった。しかし「南京問題はなかったというひとの発言」は認めねばならない。
東浩紀@ゆるく考える&新記号論 on Twitter: "南京問題はあった。しかし「南京問題はなかったというひとの発言」は認めねばならない。これが南京否定派と言われるならおれは否定派なんだろう。それでいいよ。勝手に言葉狩りでもなんでもやっててくれ。そんなことばかりやってるから、みな左翼から離れたんだよ。"
twitterだからいかんのかも知れないけど。これは認めなければならない対象がよーわからん。こうじゃないの?「南京問題はなかったという発言」をするひとの存在は認めねばならない。発言をする機会を奪われることはあってはならない。もちろん、そういう意味で書いているんじゃないかと思うけれども。でもこの書き方だと、「南京事件はなかった」という人の発言にも拝聴すべき何かがあるようには感じてしまうよな。だから
これが南京否定派と言われるならおれは否定派なんだろう。
東浩紀@ゆるく考える&新記号論 on Twitter: "南京問題はあった。しかし「南京問題はなかったというひとの発言」は認めねばならない。これが南京否定派と言われるならおれは否定派なんだろう。それでいいよ。勝手に言葉狩りでもなんでもやっててくれ。そんなことばかりやってるから、みな左翼から離れたんだよ。"
これはまさに南京否定派としての発言であると見られちゃってもある程度しょうがないんじゃないかなあ。他の発言を見たらもうちょっと理由がはっきりしそうだが追えてはいない。twitterである発言の前後の発言を簡単にみるのってどうやるのかしら。
んで、
それでいいよ。勝手に言葉狩りでもなんでもやっててくれ。
東浩紀@ゆるく考える&新記号論 on Twitter: "南京問題はあった。しかし「南京問題はなかったというひとの発言」は認めねばならない。これが南京否定派と言われるならおれは否定派なんだろう。それでいいよ。勝手に言葉狩りでもなんでもやっててくれ。そんなことばかりやってるから、みな左翼から離れたんだよ。"
これもなんかおかしい。言葉狩りはゆえなく(あるいはあっても理不尽な理由で)その言葉を使わせないって話なんだから「1+1=3を主張したら批判された!1+1=3という発言を認めないのは言葉狩り!」なんていったら失笑を買うだけだよね。
そんなことばかりやってるから、みな左翼から離れたんだよ。
東浩紀@ゆるく考える&新記号論 on Twitter: "南京問題はあった。しかし「南京問題はなかったというひとの発言」は認めねばならない。これが南京否定派と言われるならおれは否定派なんだろう。それでいいよ。勝手に言葉狩りでもなんでもやっててくれ。そんなことばかりやってるから、みな左翼から離れたんだよ。"
個人的に思うところとして、言葉狩りのような問題は確かにあると思うし、「左翼主導の市民運動ってなんだか…」的なものがあることも否めないと思う。うんざりすることも。でもこの手の発言が「そんなこと」として叩かれているというわけでもないと思う。
かつての自分自身そうだから、ということでより思うのだけど、南京事件の存在を渋々認める人たちの中には、事件を矮小化し、「仕方がなかった」「他の戦時中の問題に比べてもそれほど大きくなかった」という結論を落としどころにしたいという思いがどうしても残ってしまい、否定派の言も一理ある、と言いたくなっちゃう人がいる。結果、こうなります。
発言することが犯罪になってはいかんという原則はあるけれど、言葉自体は人を動かし、罪を作るもの。だから、発言が検証されない社会というのも恐ろしいものはある。歴史上の事件どころか、今現在進行中の事件ですら陰謀論が渦巻いている世の中。ウェブの時代になって、裏の裏まで知らないでいてくれた人たちが裏の裏の裏を勘ぐるようになって、まあ怪しい陰謀論が飛び交う頻度は上がっていると思う。昔はその手の雑誌でも買わないと思いもかけなかったような、突拍子もない、それでいてもっともらしい話。そんなものサスペンス小説となんら変わらないんだけどね。