社会資産としての子育てを家庭にアウトソーシングしたツケ的な

タイトルはおかしいんだけどさ。でも、やれ何をしたら虐待だ何をしなかったら虐待だ子供は社会の財産で独立した人格で親のものじゃないけど悪いことは全部親のせいみたいなのってなんだかね。

病んでいるのは母親ではなく社会の方だ。その病変が、一番圧迫される母親の暴走という形で表出しているに過ぎない。「何かあったら母親のせい」ではないのだ。母親が目を離さざるを得なかったのは、育児以外の様々な雑事から解放されなかったから。母親が目を離している間誰も見ていられなかったのは、育児や家事を代行する人間がいなかったから。母親が見ていなければならなかったのは、父親が育児を肩代わりしていないから。父親が肩代わりしないのは、男が社会で働くものだという社会の前提があるから。

「何かあったら母親のせい」問題 - 妄想科學倶樂部

アンバランスなんだよね、倫理と社会制度が。人権意識とか遵法精神の高まりと社会の構成要素の変化に対して、制度が追いついていない。
だからと言っていまさら子供に対する全権を親に委ねるってのも社会としてはないよねえ。目に余るものに対する介入ったって今以上に緩い基準を作ることは難しい。
子育ての結果について一切責任は問わないとなったとしてもそれはそれでってのもあるよね。どうせなら立派に育って欲しいし、犯罪者にはなってほしくない。親のエゴと子に対する愛情と、どちらも完全に分化できるものではないはず。
ニセ科学を撲滅しなければならないいくつかの理由は、ここにもある。