進化する行政の手段と停滞する政治

社会学、経済学、自然科学の発展に伴い世の中を運営するための手段は進化…少なくともバリエーションだけは…してきた。のだけど政治はこの何十年かあまり変わってない気がする。
民主主義の一つの欠点は自由な市場経済と一緒であるていど短期的に結果を出さないと継続が許されない場合があるにもかかわらず、会社と違って余りにもドラスティックな改革はほぼ許されないところか。いずれにせよ政治そのものに興味がない人は行政も手法ではなくて結果にしか興味を持たないように思える。
本来どのような手法をどのような思想で採用していくかこそが政治向きの話であると思うのだけど政党はそれがもたらす予定の結果しか宣伝しないし、結果も出せないからそりゃあ幻滅するよな。
手法はそれそのものが政治的な思想を体現しているものもあれば本当に単なる手段であったりもするけど誰が唱えたかで過剰に政治の色が付いて善悪の議論に発展してしまうなんてことは本来はばかばかしい話ではないかと思う。
手法と思想の整合性は手法が実現しようとしている過程も含めて評価できないと検証できないし、その点せいぜいマニフェストだのみの日本の選挙戦で政党が体現しようとしている思想が妥当なのかを検証するのは難しいし、結果として裏切られる、と、目先の利権くらいしか政治の楽しみってないよね。


とまあ取り留めもなく思うんだけど、内政も外交も政治にとってはすべて手段でしかないはずなのに政治向きの話をしたがる人でそれをある種の道徳的な向きからとらえる場合があるのはちょっと不思議ではある。政治が真に実現すべき思想は時には小道徳をなぎ倒していかなければならないものだと思うんだけどなあ。その最たるものが武力革命として。

政治が過剰にモラルを語ると胡散臭い。