捏造がバレるのは既存マスコミに限らない

ウェブの時代になって、既存のマスコミがいかに都合のいい恣意的な放送をしてきたか、ということが明らかになって来たりしていますが、じゃあ、ネットでは真実が伝わっているかというと、そこにも捏造の嵐が吹いているわけで、それで踊らされて息巻いている人もいたりするというかえってカオスな状態なのですよね。
何が真実なのかわからない、そんな中で、信じることが出来るのは個人の判断力のみである、というのはいかにもしんどい。
政治的なバイアスがかかっているものの、まあまあ信頼できるはずだったマスコミが壊滅状態にある今、僕たちは何を信じればいいのかなあ。となると、究極的には信頼できる人を作るしかないし、それを見極める力を養わなければならない。
もちろん、既存マスコミは信頼を取り戻すように動くべきだよね。旧来のやり方は、マスコミ的には報道のあり方として、ある程度の恣意的な色づけは許される、という信念のもとで行われていたと思うんだけど、その手法は取材される側のクレームによって成り立たなくなっているわけで。だから、恣意的な編集を武器にしない、真の取材力を発揮するときがやってきたわけで。片手間に情報を発信しているウェブ住民では成し得ない、専業マスコミ人としての実力を思う存分見せ付けるべきなんだよな。
一方で、マスコミを叩けばなんとなく正義っぽくなっている状態ってのも少しずつ変わっていくだろうと思う。捏造工作なんてマスコミよりもネットのほうが酷いわけで、ソースの改変にいたっては全てを台無しにする行為。一度でも行ったら信頼性は地に堕ちる。
だから、信頼の置けるソースとなりうるには少なくても顕名で一貫した姿勢をとり続けることは大事なのだろうな。ここでいう一貫と言うのは意見を変えないことではなくて、事実に向き合う態度として。