飲み会に出席すること

なぜ歓迎会イコール飲み会なのだろうか。食事会でもいいじゃない。
と思わずにいられない今日この頃です。

飲めない人は飲めない理由をきちんと説明すべき。学生じゃなくて社会人なんだから - Togetter
昨今議論中の件ですが、お酒が飲めないから、という理由で出席しないというのは理由としてはあまり妥当ではない、と僕が思ってしまうのは、飲酒を強要するという場に居合わせたことがないからかもしれません。うちの会社には酒が飲めない人が結構いて、しかし、飲んでる人よりテンション高いもんね、飲み会。あと、仕事がテンパっている人が強制参加させられることってないからなあ。
コミュニケーション=飲みニケーションみたいな発想がはびこっている旧体質の会社はさすがにアレ。
飲み会への出席と、飲酒の強要をどう逃げるかは別種の問題だと思うけど、それが問題として繋がっている空間は結構しんどいね。


飲めない理由は千差万別なんだから、いちいち説明を求めるのも飲ませる側としてはめんどくさい気がするんだけどなあ。飲めない?じゃあしょうがねーなでしかないし。


歓迎会への出席拒否ってのはちょっと難しい。仕事の契約にそんなものへの出席は書いてない、みたいな杓子定規は通じるところはあるかもしれないけど、社会通念上の話としては拒否は出来ても感じは悪いかも。XX先生XX賞受賞記念パーティーに酒が飲めないから本人来ない、みたいな。いや、お酒が飲めないから、というのは理由の一つでしかないよね。


コミュニケーションの場としてのパーティーは、オフィシャルかアンオフィシャルかはともかくとして、別に日本だけのものではないけれども、日本の場合、パーティーの飲み会依存率が高すぎる気がする。まあ、気軽に街中でバーベキューと言うわけにも行くまいが。


お酒を強要されなければXX会に出るのか。就業後拘束されたくありません、はコミュニケーション拒否と見做されるのか。会社員あるいは社会人として、コミュニケーションはどこまで必須なのか。



酒を飲んだりタバコを吸ったりするのが成人の儀式として成立している社会では、体質が受け付けない人は排除されるのか。昔だったら飲めない体質が飲んで死ぬのは仕方が無い、だったのかもしれないけれども。


人生における行動の優先順位付けが会社から個人にシフトしてきているさなかでは、飲み会の類への参加が(アンオフィシャルなものとはいえ)評価に繋がることは耐え難い、という人はいるかもしれない。けれども、例えば会社や仕事に対する優先順位が高い人において、コミュニケーションの実践(というのもなんだが)がある種の会社あるいは仕事への忠誠心と見做されることはそれほど違和感は無い。別に仕事の内容以上の評価をされる必要が無ければ、つまり、会社の体質まで含めた部分に自分がフィットしていることのアピールにより出世の道を目指しているのでなければ、問題ないでしょ。仕事の内容による評価は適正に行われるとして。で、ある程度の立場であればコミュニケーションは仕事の内容に含まれたりするしね。
もちろん、そういう道を目指しているのに酒が飲めないことで何かが閉ざされたりするのは問題かもしれないので、別のアピール方法があることは必要だし、あるいは、野心があるなら体質がフィットした会社に移るべきなのかもしれない。
うーん、ちょっと苦しいかな。そもそも人を評価するってことが難しいことなので、飲み会とかそういう場に少しでもヒントを求めてしまうのかもしれないせいかもしれない。

最後にこの発言についてのコメント。

職場のコミュニケーションが大事なのはもちろんなんだけど、「お金貰ってるから仕事だけしてればいいってもんじゃないよ。」ってのは思っていても言わない、の類のコメントだろうね。むしろ飲み会を優先して仕事を途中でほっぽりだす人がいたりするほうが問題で。特段仕事が忙しくも無いときにオフィシャルな行事に出ないことはコミュニケーション能力に×がついて、人の上に立つポジションを与えられないかもしれない、ということについての忠告的な話かもしれないけれども。

でもまあ仕事におけるマネージャー層の管理能力をその手のコミュニケーション能力に求めるから、時代にフィットしない仕事のやり方がはびこっていて年々厳しくなりつつあるのかもしれない。職場以外でのコミュニケーション能力は、どっちかというと「とっておき」のモノであるかもしれないなあ。