かわいそうなクマ

人間の都合で殺されるってのは可哀想だよね。うん、かわいそうだ。
僕は菜食主義者じゃないから、動物殺して肉を食っている。実際に手を下すのは僕ではないけれども、僕と言う消費者がいるから肉が生産されるんだから、結果として僕が殺していることには変わりない。
環境を破壊することで快適な家に住み、快適な生活をし、自然のままでは得られない趣味に時間を費やすことが出来る。本当に人間と言うのは罪深い。そんな罪深さを日々ざんげしながら生きているかと言うとそういうわけでもない。ああなんて罪深い。

かわいそうって感情自体は、人間が持つ大事なものの一つだろう。クマなんて里に下りてきて人襲ったとしてもかわいそうなんてかけらも思ってないだろうしね。そういう感情や心のありようを大事にすることはいいことだと思う。クマが里に下りて人間を襲わないように出来ればどんなにいいだろう。現に、危険を冒して餌を撒いている人もいるようだしね。
でも、里に下りてきてしまったら、もうその感情は意味を成さない。かわいそうという感情を十分に発揮できるのは、立場が完全に上にある、危険のない状態か、あるいは、相手も同じ感情を持ちうる能力のある生き物である場合だけだ。

里に下りたクマを射殺することに抗議する人たちについて不思議なのは、クマに対して同情という感情を持ちうるのに危険に晒された里の人に対して同情の気持ちを持ち得ないのだろうっか、と言う点。なんでなんだろう。