市場主義とは人の生き血を啜る魔物なのか

災害にかこつけて高値で売りさばく宣言をしたブログがあると思えばそれへの批判を擁護するものもでる。市場とはそんなものであると。
まあ、人が機械ならそうだろう。ほんと市場は地獄だぜ!

原理が心情的に通用しないレベルのところで原理を主張すると、一般に「悪徳」と呼ばれることが多かろう。原理的にも法的にも「悪」でないからこそ、問われるのは徳であり。
だから、儲かるのも正しいし、責められるのも正しい。実際のところ、「徳」も暗黙の商品足りうるし、それを含めて、市場は成り立っているのだと思う。さもなくば、企業のイメージ戦略など市場には不要だろう。悪徳を売ることを覚悟の上での行為としては決して間違いでもないし、どんな批判にさらされようと平然とできる人にしかやる資格はない。
しかし、国際金融屋を標榜する人がこれを擁護するのはどうなのか。ノブレスオブリージュという考え方が示され、企業の社会的責任がISOになるような世の中で、原始的原理的な市場主義をもってこういう行為を正当化する。それは人間も社会も進歩することを拒否してるレベルの考え方なのではないか。かの人の元では「ヴェニスの商人」は裁かれないのだろう。