被爆者2.5世として

僕の父は、昭和20年、広島に生まれた。8月6日、命からがら市内から避難している。実際の話かどうかわかったもんじゃないが、わたった直後にその橋が崩壊した、ということがあったそうな。
祖父は、警察官をやっており、殉職している。

今は亡き僕の母方の祖父は、教師をやっていた。8月6日の惨劇のあと、生徒やその親を探しに市内に出ている。結果として、少なからず残留放射線を浴びたことは、その肩にケロイドとして示されていた。その二年後に、母は生まれた。

父も、母方の祖父も、被爆者として認定されている。

結果として、被爆者2.5世としての僕が生まれたときに祖父母が真っ先に気にしたのは「五体満足で生まれたか」ということだった。遺伝的な影響がわからない。そういう時代だった。

初期の核爆弾ということもあったのかもしれない。結果として、放射線による遺伝子への損壊は、その機能を停止させることはあった(=放射線被曝による死亡者を生んだ)けれども、遺伝的な影響は心配されていたようにはなかった、というのが現在の認識なのではないか。

今回、原子力発電所放射線の放出、あるいは放射性物質の漏出によって、自然界および医療で受ける放射線より多くの被曝を受けている人は少なからずいる。そのことが、差別に繋がるようなことは避けねばならないと思う。

放射線を浴びることが大したことではない、ということではもちろんない。発がん性物質や、遺伝子に影響を与えるといわれる物質が山ほどあり、健康に支障が出ない範囲で付き合っていっている現代の私たちであるから、放射線とも適度なお付き合いをしなければならないことは明白だ。むしろ、放射線という存在を知らなかった昔のほうが、自然の線源から浴びる量が多かった人だって居ただろうと思う。

原爆の、悲惨な情景により、放射能は特別人体に悪いものである、というように認識されているように思う。では、枯葉剤とはなんだったのか。農薬も種類と量によって人を害する度合いは違う。被曝即悪ではないのはもちろんである。

未曾有の災害に怯え、未知なる物への恐怖を抱くのは仕方がないと思う。しかし、人類の英知により既に明かされている事実に対して、単なる恐怖からそれを差別するというのは文明に対する逆行である。文明を信用できないのであれば、黙ってそこから去ればよく、ただ、その果実だけを得ようとしてはならない。

震災後散見される、様々な人の不安と不信の漏出と思われるエントリやつぶやきを読みつつ思うのは、多くの人が自分が信じるものを根底から覆す事態が発生していると感じているのではないかということだ。過度に発達したネットワークがそれを増幅させているようにも思える。もはや、WebLogは情報発信源ではなく私見を開陳する場に過ぎないし、井戸端会議の見える化に過ぎないTwitterは単なる噂の増幅装置に過ぎない、とも思えてしまう。
だけれども、僕はそれが社会の新しい形を作るツールであることを信じたいと思う。だってほら、革命は成ったじゃないか。

不安、不信、不平、不満。様々な「不」を撒き散らせば撒き散らすだけ、それは増幅されていくし、思わせぶりにそれらの背景をにおわすことも人心を惑わせる行為だと思わずには居られない。

憶測を語るのは不安の裏返しでしかない。もちろん、それによって楽になる何かはあるのだと思う。

ただただ、それによっていわれのない差別が行われないことだけを祈りたい。