最近、カジュアルな差別発言多くない?

人は誰しも差別心を持つのは避けられないと思う。差別においては本人の責ではない属性(人種や障害)や、害ではない行為(屠畜とか)への不当な批判であり、それによる待遇の差異が発生する。逆に言うと、公には差別を行うというのは、差別心を持つことではなく、それにより社会あるいは対象に干渉を行うことであると思っている。「差別心を持つものは死ね」と言わずに死なずに済む人はどれだけいるのだろうか。
その差別心を社会に表明しない、個人としても抑制するのが現代人の嗜みです。

だから、例えば気心の知れた仲間内で愚痴的に差別心をあわらにした発言を行うことを差別主義者の所業とは思わない。差別主義者としてはあくまでそれを社会に働きかけることが成立要件かなと。

しかし、Twitterやらなんやらがそういう仲間内レベルでしか成立し得ない発言を不特定多数にばらまいてしまう。これはもう差別を行なっていることと同様であろうと。

多分、問題は2つある。1つは、差別心の吐露が結果として差別を行うことになる、ウェブサービスの構造的な問題。これは「意識が足りない」問題でもあって、漏れでてしまった差別心をもって差別主義者と糾弾するか、というとそれはやり過ぎ感があるように思う。もちろん指摘に対して継続的に発言を繰り返すようではだめだけど。
つまり、単に情報リテラシーの不足が間違って差別主義者を生む。
もう1つは、普段からカジュアルに差別を行なっており、たまたまローカルの世界でしかそれを行わなかったから問題がなかったけれども、ウェブにおいてそれを行うことで差別主義者であることが露呈するということ。このタイプでは、「差別は悪いこと」という意識がそもそもない可能性がある。

差別も差別発言もダメなんだよ、ということをきちんと伝えていかないとね。