黙祷と抗議デモ

なんでも、黙祷の最中に抗議デモの声が鳴り響いていたそうだ。8/6。
僕はというと、人生始めてだろうか、すっかり起きるのを忘れていていて、すっぽかしてしまった。親族の命日にきっちりと黙祷をする、ということ自体この日以外していないということには、なんとなく自分でもおかしな気分を見出すものだけれども。

本当に、日本人?は空気を読むのが下手くそである。というか、普段どうでもいいことで空気を読みすぎて、あえて空気を読まない行為がなにか特別な意味を持たされてしまっているように思える。つまり、普段の同調圧力が大きすぎて、同調しないこと自体が政治的な意図をもたらす行為だと勘違いする。
結果として、礼儀が本来不要な部分で儀礼化が進み、本来必要な礼儀は政治的な行為によって踏み躙られる。

その、政治的行為が政治的効果として意図しているものと全く逆になることを気づけない、ということが日本人の空気の嫁な加減であり、集団化した日本人の弱点でもある。

よく、某アジア国家の人に対して「個人としてはよいんだけど、集団になるととたんに云々」という評価が下されがちだが、それって日本人にも当てはまる話だと思う。非常によろしくない。

やっていて、溜飲が下がっちゃうような抗議行動は手段が目的を逸脱しているというか目的が摩り替わっちゃってるからやらないほうがましだよね。