ネット潔癖症がソーシャルメディアを殺す

いい話問題はだいぶ燃え盛ってニセ科学糾弾の域に達し始めている気がしてきました。
僕のソレに対するスタンスは昔書いた「いい話」は思考能力を奪うよね - novtan別館に尽きます。

いい話をどう扱うべきなのかは語り手ではなく、受け手側の問題である、というのがその根底にあります。
嫌儲…は無断転載の問題もあるからちょっと別として。

なので、必要以上に「いい話」を広めた人を糾弾するのもなんだかな、と思うわけです。

僕がまずいなって思うのは、それを政治・詐欺・医療ネグレクトその他諸々の問題とダイレクトに接続して人々を煽ること。でもそれは、受け手側のリテラシーの問題でもあるんだよね。
罪のないフィクションと、罪のあるフィクションはそこに罪に値するフィクションがあるかどうかだと思うし、それを責める「正義」の遂行が人を傷つけるほうがよっぽどいやだな。

とはいえ、単純にそう言ってしまえるわけではない問題もあるのはわかっているから、そのへんの線引きをどう考えるかは個人差になってきてしまうとは思います。

このあたりに対する潔癖な考え方は、ソーシャルメディアの悪いところと一緒にいいところも殺してしまうと思うんだけど、まあソーシャルメディア自体別にいいものでもないと思っているからどうでもいいかも。