ネットが従量課金になるというのは広告が有料になるってことだよね

まだインターネットが広がりはじめの頃、電話代もプロバイダー代も従量制だったよね。もっともそれは時間に課金されてた。当時は回線速度が遅かったから重たいページは時間を喰うので敬遠されてた。もっとも、速いモデムのアクセスポイントは時間単価が高く設定されてたけど。
テレホーダイは前からあったけど、プロバイダー代か定額にならないとつなぎっぱにはできない。そんな時代にバナー広告を出す代わりに無料で接続できるHyperNetってのがあったね。貧乏学生はよく使ったものだ。
ISDN全盛期になって定額プロバが増えて廃れたけど、広告でサービス無償提供モデルとしては今でも似たようなものだ。

さて、最近取り沙汰されるネット従量制だけど、常時接続が前提の現在、時間制は取り得ないからデータ量課金がそもそもの必要性からいっても妥当なんだと思うけど、そうすると今広告に依存しているサービスはどうなってしまうんだろうかな。ネットに流れるデータの大半はみたいページに付随している広告(ソーシャルメディアのデータも含めたらそれこそほとんどが)のデータだと思うわけ。でも、データ量に課金されるならそもそもいらない広告にお金払いたくないよね。でも広告がないと目的のサービスは維持できないよね…

これは結構めんどくさい話だよ。テレビの広告枠は限られた帯域を独占しているテレビ局がそれを切り売りしているけど、配信コストは一定。ネットの場合、サイトは無限にあるし、掲載しているのは回線の保有者ではなくサービスの保有者。配信コストは回線の容量に依存するけどそれを負担するのは通信事業者。
そうはいっても、今だって結構なサービス提供者は回線コストを負担している(但し自分たちのサイトの帯域確保のため)けど、それは通信事業者の負荷を減らすものとは言いづらい。その上に乗っかってるユーザーページはタダなことが多いし、広告がまかなっているのはサービス側の費用だ。

テレビ局がウェブサービスだとしたら通信事業者はなんだろう。電力会社?でも本当はいらないものにお金を払うのはちょっと当たり前とはいえないよね。

理論的には広告とそれ以外のトラフィックをわけることは可能だけど、それやったらインターネットがテレビ局と同じ権力構造を作り上げることになる。SOPAヤバいって騒ぐのも必要だけど、本質的に不要…広告が、というわけではなくむやみやたらに増えてるトラフィックのタネ全般…のおかげで従量制の足音が近づいてきていることにも注目したい。ユーザーニーズがマッチポンプなことがあるのは去年の停電でみんなわかったはず。