リアルとバーチャルに壁はあるのか

ここがきっかけかな。
FacebookのIPO申請書類を読めば佐々木俊尚氏が100%間違っていたことが確認できる ユートピア的な幻想の怖さ - Market Hack

なんか途中で逆恨みっぽい話が出てくるけど、まあそれはさておき。

元々、佐々木さんはこれを批判していたようだ。

SNSとは、「実際の友人・知人との関係をネット上に移したもの」です。つまり、リアルの友人・知人との交流の場です。これだけです。ね、シンプルでしょう?
あなととても仲の良い人はSNSの中でも仲は良いですし、あなたにとって苦手な人は相変わらず苦手な存在です。インターネットに移動したからといって、あなたの人間関係は変わりません。

蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】 | TechWave(テックウェーブ)

蔓延する誤った定義、というくらいぶち上げた割には再定義きちんと出来ていないのは、用語があいまいだからかもしれないですね。「実際の」「リアル」が指す範囲が明確じゃないので、その友人知人関係がどこで構築されたかという大事な点についてまったく説明できてないわけですね。とはいえ、この定義と離れた後段でそれを説明してはいる。

佐々木さんも蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義 大学生が書いたTechWaveの記事への反応まとめ - Togetterで語っているとおり、これが個人のブログだったらへーそうですか、で済んだのが一応まともにメディアとして活動しているはずのTechWaveに採用された、ということがまたちょっと問題を大きくしている。
彼によると、バーチャルはソーシャルと呼べないそうだ。

厳密には、ソーシャルとは呼べません。そういったオンライン上で知らない人々との交流の場は、バーチャルと呼びます。オンラインゲームなど、インターネット上で知り合ったユーザーと協力していくゲームなどが、バーチャルの具体例です。

 インターネット上で出会う(バーチャル)を前提としたサービスでは、ソーシャルとは呼べません。新たな出会いを喚起するサービスは、飽きられてしまう傾向にあります。mixiのコミュニティやMySpaceが弱くなってきているのが証拠ではないでしょうか。

蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】 | TechWave(テックウェーブ)

といっているけど、mixiは元々バーチャルな出会いなんてなかった。最近になってソーシャルゲームを通じて新しい人間関係が生まれた結果、mixi(や既存のSNSにおける)「リアル友人」であることの意味が薄らいでいったし、そのリアルでない関係に汚染されて要らない情報まで出てくるようになったという現実は感じているものの、mixi経由で「リアル」友達になった例なんて枚挙に暇がない(mixiでであってそりゃ結婚する人が居るくらいだし)。

佐々木さん曰くの「そもそもバーチャルの人間関係とリアルの人間関係が融解しつつある」はまさにその点を指していて、もはや関係性を示すのにバーチャルリアルの区別はいらないのではないか、というのが現状かと思います。ようは図書館で知り合おうがゲーセンで知り合おうが野球場で知り合おうが、SNSで知り合おうが、その後どういう関係になるかだけが「実際」の含有する意味であって、逆に言うと、「実際」がケース・バイ・ケースすぎて定義できないというのが現実じゃないでしょうか。

という話はきしださんの2012-02-07に近いかな?

それと、匿名実名問題は実は別なんだよね。ようは、関係をどのようにコントロールするかという点において匿名実名問題が出てくる。実名で活動するというのは、バーチャルでない部分の強固な関係性の構築をある程度相手側にゆだねることであるし、匿名で活動することは、関係性の構築をある程度こちらでコントロールしたいということになる。
ようは、関係性自体はそれが手段によらず現実のものにしかなりえないとしても、それをどのような形、太さにするのかという点ではリアルとバーチャルの差は大きい。とはいえ、町でたまたま見かけた、という関係が実際に会っているから太い、とは言えない。実名だろうが匿名だろうが関係性の構築は何らかの形でなされるわけだから、情報をどれだけ相手に渡すかこそがその関係性の太さと見做してよいと思う。
コンビニの店員さんの名札と客の匿名は非対称的に見えるけど、その実客側も「覚えてない」わけで。でも、企業の責任としてコントロールできる範囲と何かあったら対処するための情報として見せているわけだよね。

僕のネットでの知り合いの何人かは僕の本名も勤め先も知らないけど、僕の「リアル」の友人とは違う情報を持っている。その人にとって僕はリアルか、というとまぎれもなくリアルだろう(まあ更に何人かは実際に会っているわけだし)。

だから最初にあげたエントリの「Facebookは裸」には「何をいまさら」と思うし、こういう自分の情報のコントロールについて無頓着な人がたくさん居ると思うとなかなかこの先大変であると思ったりする。

今のウェブ界の情報のコントロールは紳士協定で成り立っている部分があるし(もちろん個人情報保護法なんてものがありセンシティブには対応されているけど、それは責任のある立場の人はやりませんよ、ということであって、悪意を持った人々の行動をコントロールできるものではない)ね。

というわけで、最近の大学生は情報リテラシーが足りない、と結論づけたい。