安穏とした実質奴隷生活を勧めること

これってそういうことだと思う。もちろん、頭を使わず幸せに生きていくことはできるし、それが人間の尊厳を失うことではないけれども、特別の理由がない限りはそうならないように生きていくのが現代人の務めである。度を越せば全体主義に早変わりだけど。

上の人間が下の人間に言う「自分のアタマで考えろ」というのは、あくまで上の人間が命令した業務内容の中で、ちょっとした改善を効率よくやれ、ということであり、そもそもこの仕事ってどういう意味があるのか、などということは決して考えてはいけないのである。

自分のアタマで考えよう、ちきりん : 金融日記

というのは経営者として社員を奴隷のままでいさせるためには重要なことだろう。意味も考えずに仕事をすることを推奨するのは、下手に有能になって待遇の改善を要求されたり独立れたりすることを防ぐためだ。もちろん、それを抑止する会社は成長しないので、これは自爆的発想なんだけど、うまくいっているときはそんなことは考えたくもないんだろう。

以上のような人間社会の構造は、そのバックボーンの社会システムが資本主義か、あるいは共産主義かによらない。共産主義社会において、自分のアタマで考えた人間が、次々と絞首台に送られた現実を思い出せば、人間組織というものが、いかに自分のアタマで考える人間を嫌悪してきたのか、自明であろう。

自分のアタマで考えるとはそれほどの覚悟がいる所業である、ということはぜひ自覚しておいてもらいたい。

自分のアタマで考えよう、ちきりん : 金融日記

ある意味真理ではあるけれども、そこから脱却するために人々は活動してきた。前から現代封建社会主義的発言が多い人ではあるけれども、その発言の底には自分がヒエラルキーの上にいるという状況があるし、そこから転落したときに社会が優しくなっていることは期待していないということだろう。まあいいんだけど。

言われたことをやってそこそこの待遇で飼殺される社会は居心地が良いよね。少なくともそれが不況というような悪い状況に置かれない限りは。そして、悪い状況で首にできない奴隷が沢山いるから彼の人は奴隷生活を勧めながら一方で解雇の自由を求めている。

ともあれ、フル回転して生きていくことはハードルが高いことである。それから自由になるには馬鹿になるしかないのかもしれないけれども、世の中弱者救済をうたう人たちがそれを許してくれなかったりして難しいものなのであった。