匿名のコントロール

人が匿名を使うときの理由は様々あると思うけど、その魅力は自分のプロファイルから自由になることだよね。

パソコン通信の昔からハンドルネームってのがある。いや、無線の昔から、というべきか。それを匿名と意識していた人もいれば、単なるあだ名と意識していた人もいるだろう。インターネットの時代になって、当初は実名が明かされている人が多かったし、そういう人もハンドルネーム使ってることが多かったよね。

当時の匿名(顕名)は、他者との結びつきもその名前でしかなかったから、プロファイリングされることも少なかったけど。

さらに、Twitterはこれらの発言が積み重なっているので、ありとあらゆる事が分かるかもしれません。そこにリアルの友人がひとり居るだけで、その友人の周りの人からすればだいたい誰かは予想がつくでしょう。
(なお、ここで言う匿名とは、アカウントと個人が完全に切り離されている状態であって、本名は公表していなくてもアカウントと個人が結びつけば、それもおおまかに実名として捉えてください)

匿名Twitterの危険性 - 日々関心

このへんは、ウェブ上でリアルとつながることによる当然の帰結であるし、プロファイルのコントロールを緩くしているのであだ名レベルの匿名でしかないわけですね。

毛利さんが仰ってましたが、誰であるかという「個人識別情報」と、普段つぶやいている行動等の「不可侵私的領域の情報」はきちんと分ける。
それが誰なのか分かっても、プライバシーを考慮して結び付けないでおくのが、せめてものマナーなのかなと自分は思いました。
もし、その個人は匿名のつもりでも、そこにリアルなソーシャルグラフが少しでも入り込んでいると、周りはきっと気づいているだろうし完全に隠す事は不可能だと思っています。

匿名Twitterの危険性 - 日々関心

とあるけど、リアル友人がそれと認識して結びついている時点で本当にその人は匿名性なんて求めているのか、と思いますよね。思いません?

真の匿名とは何か。最近のいろいろな話も含めてあらためて結論を出すと、「自分自身についての情報のコントロールを完全に自身が掌握すること」ということ。自分のことを知っている他者がそこにいる時点で、もう真の匿名ではないんですよね。もちろん、僕も真の匿名ではありません。
ウェブサービス上でのアカウント名なんてあだ名ですあだ名。
とはいえ、本人がコントロールしたそうに見える情報を第三者が勝手に出してくるのはよろしくないと思います。そのへんは、礼儀の範疇ですけれどもね。