暴走する「ノマド」の概念

ずっと、ノマドって何のことなんだろうよく聞くけどって思っていたんだけど、なんとなく接点がないような気がしていて無視していたんだけど、ちょっと議論になっているので眺めてみた。

…うん、なんだかわけわからん。

ノマド・ワーキングっていうけど、そもそもノマドであることは仕事において重要なことなのかなあ。仕事ってさ、「どうやるか」じゃなくて「何をやるか」じゃないの?
パッと見、ライフスタイルとしてのノマドって「働きたくないでござる」をちょっとだけ進化させて「こういう形じゃないと働きたくないでござる」にしただけに思える。在宅勤務とか、フリーランスとか、そういう言葉ともちょっとニュアンスが違っていて、中心にあるのが「仕事」ではなくて「生き方」。

もちろん、仕事って人生において生き方に繋がる部分はあるんだけどさ、仕事(大げさに言うと社会における自分の使命)が自分の人生の中で多くを占めない人にとっては、仕事はかなりその他の部分とは切り離されて存在するよね。生きるための手段でしかないから、そういうふうに割りきって仕事をする。最小限の努力で最大限のリターンを得ようと思えば、自分のやり方にこだわる必要はない。仕事が人生のその他の大事な部分を侵食してはじめてやり方とか場所とか時間とかそういうことを考える。

よくわからんないんだけどさ、ノマド的な生活を志向する人って、全力で仕事して全力で遊ぶ、みたいなスタイルには否定的なのかな。仕事とプライベートを、たとえゆるくであっても繋いじゃったら、真のプライベートな空間が仕事に侵食されるように思えるし、遊牧民というよりは狩猟民でないと生きていけないように思えるんだけど(なにせ仕事において肥え太った牧草地なんてめったにない)。
そうすると、ちゃんと生きてくためには如何に他者とコミュニケーションしていくかが重要だよね。とすると、ノマド的に生きるってのは田舎に引きこもるんじゃなくて、都会をうろつきまわるスタイルにしか思えない。


というわけで、さっぱりノマドって概念がわからんのだよね。単に引きこもらないでもできる在宅ワーク、であるならば、普通に出勤することと違うのはコミュニケーションコストがムダに高いことと、遊びの時間にきっちり線引きのできない不自由さしか感じられないなあ。