自らを龍馬になぞらえる暗殺願望

坂本龍馬を情報の非対称性を利用して自分の有利に物事を運んだ元祖屁理屈弁護士的な存在として捉えると、維新の会が龍馬龍馬というのはわからないでもないんだけどね。

龍馬の事績がどこまで見習うべきものかについては激論が交わされるくらいのネタはあると思うけど、それはそれとして、その最後に思いを馳せると、志半ばで人生を終了させた人は未来の悪評を回避することができたという意味で歴史に大きく名を残せるよなあと思ってしまったりする。いや、好きなんだけどね、龍馬。

あの人が生きていたらもしかして、と、あの人が死んでいたらなあ…というのではどっちも妄想なんだけど前者のほうが夢があって良いわけで。暗殺なんかされるとたいていは後継者が「遺志を継ぐ」とかいって好き放題やって面白いことになっちゃったりするので。

にしても、事績から言うと龍馬は自分が確固たる策を持っていたと言うよりはビジョンのある人同士を結びつける周旋の天才みたいな存在に見えるんだよね。全くもってそういうことをしようとしない維新の会が龍馬に自らをなぞらえているのを見ると分析的じゃねーなって思うし、バズワード使ってマーケティングする流行頼みのSEO業者みたいな適当さを感じてしまうんだよなあ。