ヒットラーになぞらえるなら、当然帰結すること

別にあずまんは好きじゃないけど、こういうのはどうなのかな?
まとめよう、あつまろう - Togetter
いやね、ホロコーストを矮小化する比喩、とは全然思わないけど、ヒトラーがやったことと橋下がいまやっていることのレベル感の差異と言うのは確かにある。
んで、それに対して、ヒトラーもはじめは歓迎された、という意味での比喩に対するツッコミとしてはダメだ、という批判が来ている。でもさ、僕が思うに、そこは重要だと思うんだよね。なぜヒトラーなのか。
単に、一部の民衆の圧倒的な支持を得て独裁的な政治に走る、というのは似ているといえば似ている。でも、それだったら身近に例えば石原慎太郎とか、あるいは小泉元首相とかいて、結構同じようなことをやっている。というか、それに限らずよくある歴史の風景だよねこんなの。なのに、あえて非道を行ったヒトラー(及びナチス)を引き合いに出す。それはもう当然のことながら、橋下市政が最後は「ホロコースト」に帰結するということを含意しているという解釈をするしかない。
だって結構さ、ヒトラーに例えるってのはものすごいことだよ。少なくともカジュアルな批判としての比喩としてはオーバースペックな比喩だよ。僕は橋下市長のやり方は気に入らないし、正直、やりすぎだと思っているけど、ホロコーストを起こすとは思わない。あえてヒトラーを例える対象に選ぶっていうのは、もし彼が辿った未来までをなぞらえているのであれば、さすがに侮辱に近い非難だと思う。だから、例える対象がおかしいというあずまんの批判は(その話の持ってきかたはともかくとして)正しい。
やっぱり批判に比喩は時間の無駄。もうちょっと具体的な内容に踏み込んで、過去の事例分析とその類似性あたりまで行けばよいと思うけど、印象論に終始してしまったら全く意味がない。