「俺の意見は正しいからお前らはコメントで俺の意見を肯定せよ」

たまたま目に入った。

ただ、私が思っている最大の欠点は、標準化されていないということです。このコードを初めて見る人はまず Flag 構造体の仕様を知ることから始める必要があります。bool をそのまま使っていれば、そのようなことは必要ありませんでした。
.NET のライブラリーにこのようなフラグ用のクラスや構造体は備わっているのでしょうか?

http://ap.atmarkit.co.jp/bbs/core/fdotnet/31987

この質問に対して、そもそもFlag構造体なるものを使用しなくても実現できるんじゃない、という意見がついたが質問主は頑なにFlag構造体でうまくやるソリューションについてその正当性を繰り返すという不毛な議論になっている。おそらく
欠点を克服したいからそのやり方をしりたい、という主に対して、別のやり方の方がいいよ、という話をしても意味が無いのだろう。
この話にかぎらず、まず結論有りき(この場合は当初のアイディアの方向性は崩さない)で質問をしてしまい、その目的が他者に明確ではないと議論にならない。肯定的に捉えて発展させるものだけが受容される。もっとも、プログラマーは非情である。プログラマーにとって大事なのはコードの効率性か、それを犠牲にする代わりの可読性かどちらか(あるいは両方)であり、メリット・デメリットを比較してNGと判断されたことについては情など斟酌せず容赦なくダメ出しをする人種である。「この方がいいよ」というのは婉曲話法で、実際には「そんな実装じゃダメだ」と言っているのである。

そういう世界(何もプログラマーに限った話ではない)における議論というのはある程度正解が明示的にある(前提が明確なのでブレない、論理的にそれしかありえない等、限定条件があることにより)世界だったりするから、一見議論が平行線をたどっているように見えて実の所単に議論が成立していないだけだったりする。だから、間違った前提で突っ込んできた人も「俺が正しい」以外の意見を持ち得ない。もちろん、きちんと話の前提をすりあわせた時点で無意味な議論ということに気づければそれはそれである種の(この場合前提についての)議論が成立したということでめでたい。

さて、かのように世界の形が見えている中での議論については失敗成功がわかりやすいのであるけれども、イデオロギーとか主観とか気持ちとかそういったものが世界を構成していると、前提なのか主題なのか、どこで議論しているかが曖昧になって溶けて崩れていくということがよくあると思う。実の所みんな結論有りきで話しているんだけど、本題以外のところでは譲歩しまくっている結果議論が成立しているように見えたり見えなかったり。

何が正しいかはっきりとわからないから、一旦正しいを定めるために議論しよう、という議論というのはまあ建設的になりがち。誰かが正しい結論を持っていて、それをきちんと納得させるために(ある種の伝達を行うために)議論しようというのもまあよい。正しい対正しい対決だけど、議論の中で自分が間違っていると思ったら考え方を改めるためにきちんと自分の正しさを説明したい、もなんとか。俺が正しくて周りは間違っている×俺が正しくて周りは間違っているはすでに議論ではなくて喧嘩だよね。