実名派は匿名派の脆弱性を狙っているのか
本当はもうちょっと人間を信じたい派の僕としてはあまりこういうことは言いたくないんだけど。
ネット実名派が本当に求めているのは相手の脆弱性 - Togetter
実際、議論に行き詰まると「お前どこのもんや」ということを言い出す人はいる。ただ、それを実名派の手段として認めてしまうと、それは実名派の言論における敗北宣言である。もちろん、認めないだろうけど。
まー僕も匿名で勝手なことを言っていることは認めるけど、実際のところ、昔小倉先生に名刺を渡したことがあるくらいはトレーサビリティーのある人間なのである。なので、僕が匿名でものを言っているのは匿名の影に隠れて卑怯にも人を誹謗中傷しその責任から逃げようとしている、というわけではない。一応。
さて、僕の考える近未来的な目標としてはやっぱり実名で自由にモノを言えたほうがいいよなあってところです。自由にってのは今まで再三言ってきたように決して無制限のものではなくね。誹謗中傷は許されないし、今の報道の自由だって自由すぎるほど他人の権利を侵害していると思っている。ただ、それを実現するためには発言の内容が反社会的でない限りは一切社会的地位に対する否定的な評価につながらないことだ。これは大変難しい。ある意味思想統制が結果としてかからないと実現できないのではないだろうか。もっというと、実名だろうがネットだろうがリアルだろうが、そういうことは言えなくなってしまう。もとより反社会的なことは考えてはならない、発想してはならない、ということに近似していく。
「俺は人を場合によっては殺していいと思うが社会のルールだからやらない」というのは反社会的な発言だろうか。誰にでもある内心の差別心を吐露するものは反社会的だろうか。そういった内心は一切発言することが許されないというのが社会というものなのだろうか。
原則でいえばそうかな、とは思う。それはウェブの公共性に起因している。逆に言うと、公共の場として認められない世界を作りたい。原始的なウェブのコミュニティーは多分そうであったと思うんだけどね。匿名というシステムが、本来クローズドなコミュニティーをオープンにしてしまった結果として、混乱が起きている。
極端な話、ムラがあって、そのムラが文脈を担っていて、「ああアレは2ちゃん村だからなあ」(リアルで言うスポニチだからなあ的)というメタレベルの文脈付与がきちんとしてればよいのかとも思ったりする。しかし、今の現状を見ると、2ちゃんをソースにニュースができるくらいには文脈が崩壊している。つまりあれがムラで、信じる奴はバカだよ的なコンセンサスが得られていない。
そうすると、依然として多種多様な考え方をすること自体は肯定するけど、考え方が反社会的かどうかの評価はされてしまう社会は存続するだろう。つまり、ウェブで自分の趣味を語ったりするとバカにされたり責められたりするかもしれないという社会。
話を戻すと、まあそういうのが社会的地位というものの脆弱性であると考えると、社会的地位を守るための手段が明確であることが匿名論者の主張であり、実名論者の主張は少なくとも建前においてはその手段が反社会的(そこまで行かなくてもバカな)行為を助長する本末転倒のものである、というところだろう。そこの本音に「議論に負けたらリアルで勝つ」なんていう意図が含まれているとは思いたくないんだけど、仮にそういう人がいるとすれば(実例は沢山あるからいる、というのが結論だが)、その人達をどうにかするソリューションを提案することが実名制ウェブへの近道であると考える。
例えば、リアル攻撃を仕掛けた馬鹿者データベースを作って世の中一般の評価軸として提示する。これも非常に難しい。隆ちゃんの例を見ても分かる通り、どんなに悪を暴かれても平気な(本人ではなくその需要側が平気という意味で)実名というのはいるわけで…
一方で、匿名側も気をつけなければならないのは、リアル攻撃という点では有利な立場であるということ。こちらはリアルを攻撃されないのにあちらのリアルを攻撃するのは非常にずるい。もっとも、ここでいう攻撃は所属に電凸したりなんだりすることである。言論の場においてポジショントークであることを暴露したり(それがあちらの意図かどうかはともかく)、その立場としての見解としておかしいことを攻撃したりするのは許容範囲かと思う。
最後にちょっと整理すると、実名の言う匿名のダメなところと、匿名の言う実名のダメなところは、問題の次元が違っている。なので、それを同時に満たす仕組みを作ることは難しい。であるならば、同時に満たさない場でわけるのが本当の姿だと思う。そして、今例えばfacebookと匿名ブログを使い分けているような人はそこに近づいてきていると思う。ただ、そこに明確な実名であるべき、匿名であるべき文脈はない。なので、実名ウェブという文脈と匿名ウェブという文脈は互いに交流・混交しないための仕組みが必要だと思う。そして、これを実現する場合、匿名の言論はかなり制約されるという形にしなければならない。秘密の暴露は社会的な価値がある場合にのみ認められ、個人(やコミュニティー)への誹謗中傷は原則認められない。ヘイトスピーチに当たる思想信条の吐露は表現の自由に当たらない、等々。
じゃあ、そういうリアルで言えないからウェブで管巻いてた系のはどうすればいいかというと、それ専門のクローズドサイトででも言えと。パブリックに匿名で撒き散らすから問題になるわけで、居酒屋と同等の空間があってもいいと思う。ただし、そこからパブリックな空間に情報が流れることは固く禁じなければならない。
まあこのくらい住み分ければなんとかなるんじゃないかな。今起きている問題は実名が匿名と交流しちゃうことによることかもしれないし、匿名がリアルに手を出す悪さをしてしまっているというのも原因の一つだろうね。ここまで言っておいてなんだけど、そんな面倒なウェブ嫌だけどね。モラルでカバーできない問題はルール化するしかないし、ルールによって今の匿名の活動がある程度制限されるのはしかたがないと僕なんかは思っているけど、それが嫌だったらもっとモラルを高めるような努力をしないといけないよね。