なんか、匿名至上主義者の代弁をしている気になってきた

いやね、前書いたエントリのコメント欄(ここ)でだいぶ議論してたんだけど、どうも自分の主張が単なる対抗言論になっている気がしてきて、仕事の休み時間に昔のエントリを読み返したりしてみたんだけど、アレだ、僕が匿名をなんとしても維持すべき、ってのは、対抗言論のときしか言ってないな。つまり、あまりに急進的な原則実名主張に対して、そりゃあんまりだっていうときにだけ。だけってのはいいすぎかもしれないけど、ウェブについて書いたエントリは、大抵無法はそろそろ終わり的な論調なんだから。
今の社会の中で、直接ウェブに現実世界を適用するのは乱暴だよね、って言っているにすぎないことが多いんだけど、匿名すなわち悪と断定されるとどうしてもそこは否定したい。僕は匿名ではあるけれども、それなりに頭を使えば実名を知る手段はあるし(だからって公開して欲しいとは思わないけど)、会社の名刺を渡している人だっている。僕自身、ウェブ上で人に言えないような活動をしているわけでもなし。
でも、属性からの自由ってのはウェブ上で認めたい。ウェブがホビーでありカルチャーであることを保ちたい。だから、他者の匿名についてとやかくいいたくないし、僕自身は筋の通った議論が出来れば相手が匿名でも良いし、筋が通らない匿名はノイズだと思ってる。
本当は、社会の側の偏見とか、ある一面で人の価値を判断してしまうとか、そういった面をなくしていくべきだと思うんだけど、それは人類の長い歴史の中で、徐々に行われてきて、しかしながらまだ不十分な状態にあるもので、一朝一夕にはどうにかできるものでもない。ウェブでのコミュニケーションは、しかし、一つの大きな契機であって、属性を引っぺがした状態での純粋なやりとりができるんじゃないか、ということは思っているわけです。僕の維持したい匿名はそういったところを含んでいて、逆に言うと、実名ってのは実世界の活動そのものと結びつく必要はなくて、実世界の個人を同定できればそれでいいはず。で、常に同定される状態ではあるべきなんだけど、それは他の人に常に伝えるべき必要はないし、むしろ目的から言うと伝えるべきではない。
これはあくまで一つの側面であって、現実とウェブがシームレスな人がいても構わないんだけど、むしろ現実の名前を持ち込まないと議論できないのかよ、的な空気はあってもよい。もっとも、ポジショントークであることを示すために現実の肩書きが必要な局面もあります。

なんか、書いてて今の現状と変わらんな、と思ったのですけど。ネカフェとかのトレーサビリティを上げたり、海外匿名プロキシを排除したりすれば十分じゃないかなあって。表現の自由とか大げさなことは言うつもりはありませんが、発信する自由はあって欲しい。その代償として、言論で叩かれることがあっても。
言葉の暴力になってしまったらそれはいかんと思うのですが、この辺はどうやって解決したものか。突き詰めていくと幸せを語ることすら許されない、そんな世界になってしまいますから。