言論と肩書きとウェブ

直接某争いには関係ないが思うところがあるので書いておく。携帯で書いているのでうまく書けるかわからないが。
そもそも、ウェブでの議論は内容が大事で、誰がそれを言ったのかが大事ではない、無論、議論を成立させるには誰、の認識はできる必要はあるがそれが現実の肩書きとかにリンクする必要はなく、ダメなことは誰が言ってもダメなんだ、と言うのが現時点では匿名で発言できることを支持している僕の以前からの考え。
一方、クオリティやらなんやらを保証するためには現実の権威が必要で、みたいな話があった。しかしその当人は自分が納得のできない論を持つ実名に対してその肩書きやそれを与えた団体への疑念を表明する。しかれば結局正しいのは肩書きではなく内容だといいたいわけだ。もちろん、その議論の内容が正しいかどうかの判断は主観に過ぎない。斯くして実名の権威は否定され、価値判断の基準は主観的な内容の評価に過ぎなくなり、実名の価値は揉め事を法的に解決するときの身元証明に成り下がる。発言の抑止力?実名原理主義者通しが罵倒合戦やってちゃ説得力ないね。
内容が納得出来なければ相手の肩書きの妥当性を攻撃すればよい、というのが実名論者の論戦のスタンダードになるのであれば、そんなのは既に議論ではなく喧嘩にすぎない。自分が正しいことや相手が間違っていることを証明する手段が相手の肩書きがいかに不当であるかを明らかにすることではないというのは当然だ。
まあ、実名を出して言論活動をするのは、それをもって現実の利益に繋ぐ目的があるよ、という人はプライドと利益をかけて全力で喧嘩していただいて構わないのだけど、その世界のルールを善良な匿名ウェブ住人に押しつけないでは欲しいだけではある。
肩書きに疑義を呈することそのものは、妥当性があればやっても良いだろうとは思うけれど、所謂権威というものを否定するには相応の知識と理論が備わっていないとダメだし、自分の見解と違う、程度では理由にならない。なにしろなんとか学の教授通しで見解の相違に基づく激しい議論なんてのは日常的に行われているわけだし、なんとか学者失格であると相手に言われた奴がノーベルなんとか学賞をとったものの後世で否定され、一方罵倒した方が正しかったかというとそちらも結果的にはトンデモでした、なんてことが普通なのが学問の世界である。過度に正義を主張して異論を認めないなんてのは道を誤った革命家の態度のようなものであり、また自分自身に間違いがあった場合に(社会的に)自殺することの表明でもある。もちろん、実名の卑怯者はいけしゃーしゃーとそんな話は無かったことにして生き残る。
ゆるい実名化推進論者としては、実名で活動している人が規範を示してくれないと困るのだが、どうも実名の問題点ばかりが目立つ。喧嘩をしてもよい、というか、喧嘩ぐらいできないとしょうがないのだが、議論(やある程度の喧嘩)の枠を超えて相手の現実の生活に波及するようなレベルで争いが怒るようではとてもじゃないが実名を積極的に名乗る気にはなれない。
激しい議論はするが場外乱闘(中傷されても訴えるなということではなく、本題に関係ないことで相手を貶めるな)はしない、というのが論争のルールであると僕は思うが、どうか。もちろん、商業活動と同じく相手を潰すための仁義無き学問の戦いであればルール無用でもよい。商売敵同士でやってくれ。そこに残るのは正義の勝利ではなく利益の亡者という評価かもしれないが。社会のために汚名を着る覚悟とかであれば勘違いだとしても立派なのだが。