生肉食えなくなるまでの駆け込み需要で食中毒増大!とかやめてよ約束だよ?

ついに、なのか、ようやく、なのか、お店で生の牛肉が食えなくなる日がやって来ました。豚肉は火をよく通さないとダメとかサケは生で食べちゃダメとかそういうのは広く認識されているのに、牛肉は生で食っちゃうってのは外れる可能性が低いということに依存しているんでしょうかやっぱり。でも、ならなんであんなに予防接種が忌避されるかわからない。人間にとって何かを食うというのはそれほどまでに罪深い行為だということですね。

古来から、とにかくなんでも食べてみて、死んだり死ななかったりおかしくなったりならなかったりを繰り返して今の食文化というものがあるのです。もちろん、その文化はアップデートされてきていて、以前は特に問題無いとされたものが蓄積ダメージがあることがわかって禁止される一方で、処理の仕方が確立された河豚やサケのルイベ等、今までヤバイ確率が高かったものがほぼ安全といえるレベルになって許可される、というものも出てきたわけです。もちろん、河豚が鉄砲と呼ばれるように、昔から自己責任で食う人は跡を絶たなかったという事実が食文化の本質的な罪深さを如実に示しているのではあります。

さて、生肉。昔もブクマに書いた気がするんだけど、実の所、それほど(特に日本において)生肉を食すという行為は一般的ではなかったと思うし、現在においてもほぼ焼肉店以外で行われることはないんじゃないかと思っています。いや、肉の本場ではそうではないとかあるかもしれないけど…
ユッケというものをはじめて食べたときは確かに旨いと思ったけど、そもそもなんで卵で味補って食べるんだろこれとか思ったことはあります。レバ刺しにしてもなんかごま油付けたりするし。いずれにしても、あまり他では満たされない類の組み合わせで口腔が満ちることの愉悦というものはあるにはあります。しかし、それが根源的に求める欲求かというとそうではないとは感じるわけです。人間の生体構造上、生肉に愉悦を感じる機能があるとしたら後天的に獲得したものではないかと思うわけで、タバコと一緒で吸わなきゃ欲しいとも思うこと自体がないようなものではないか。

外国人から見たら卵を生で食うような野蛮な人種に生食を語られたくねーよ、だったりするかも知れませんが…

というわけで、生肉が食べられなくなることが、それほどまで文化的な損失と思わない一方で、年々増大するリスク。なんだかちょっと不思議なのは、昔の飲食店より今の飲食店のほうがはるかに衛生的だと思うのにこういう自体が起きていること。衛生観念のレベルアップによって食中毒の一件一件が重たくなっちゃっているのだろうか。

今ここで起こっているのは、適切に処理しても危ない食べ物がまたひとつ、という話でしかない。飲食店経営者の人にはそれを文化への抑圧だ何だと考える前に、そうではない事例、つまり、きちんと衛生管理をすれば起こらないような事故を起こさないことができるかをきちんと考えて欲しいと思うんだよね。そうでないと、いつかは「寿司規制」も現実のものになってしまうのではないかな。