ネット乞食とクラウドファンディング

phaさんが絡まれとる。
きっかけはこれ。
ニートについての本を書いてるんですが制作費が欲しいです。 - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
ようは、本を書いてたら収入がないんでちょっと支援してくれ〜ってことですね。僕はphaさんの生き方は共感できないし、個人的には認めたくないけれども、それが成り立つのも今の社会というものだろうし、既存のセーフティネットに頼らなくてもなんとかなるという「タレント」ではあると思う。もっとも、共感できないのでカネは出さない。
で。

クラウドファンディングについて思うこと - phaの日記
今一生という方(ジャーナリストw)から上記の募集について重箱の角をつつくような質問。たとえば
「★今回の資金調達に使われるのは「本の制作費」ではなく、phaさんの「一か月分の生活費」と伝えるのがフェアではありませんか?」
でもさ、募集のページには
「家で作業していると家賃や光熱費や通信費もかかるし、家にずっといると気が滅入るのでファミレスやカフェにも行く。たまには酒を飲んだり焼き鳥を食べたりして気力も補充したい。文章を書くのは原価がかからないと思われがちですが、やはり作業をするといろいろとお金がかかります。」
ということで、これも製作費のうちだということは示されていますよね。まあ、一般的にいうところの製作費というとは違うかもしれない。生活費などは執筆の結果から得た印税などから賄うものであり。とはいえ、出版社からの印税の前借りと似たようなものなので、それほど強弁という程でもないと思う。

まあ、そういう諸々の質問をさっくりと受け流して終了。途中興味深いやり取りがあるのでそこも引きます。

それにしても、

クラウド・ファンディングは、他のプロジェクトを見ればご存知のように、
個人の私利私欲を満たすものではなく、社会的弱者を救うなど「みんなのため」に資金調達するために設けられたサービスですが、

というのはちょっと偏ったクラウドファンディング観じゃないかと思います。

そもそもクラウドファンディングは「少額のお金を多くの人から集める」というだけの仕組みで、社会公益のためにしか使えないものではありません。クラウドファンディングの本家本元であるKickstarterなんかは「単なるチャリティーには使えない」ってはっきり言ってますし、CAMPFIREもそれに近い運営方針だと僕は思っています。

クラウドファンディングについて思うこと - phaの日記

うん、そうだよね。もともと、この手のなんとかファンドみたいなのは目的資金を調達して、そのかわりその目的がうまくいったら還元するぜみたいなのが多かった気がしますね。例えば映画の制作とか。もちろん赤字が出たら還元はないけど、その映画ができたことに投資した人は満足できる的な。
それを少し方法と対象を変えたものがクラウドファンディングだとすると、phaさんの募集は大変普通のことであり(映画の製作費にメシ代がないとは言えまい)、社会的意義など募集した人にもそれに応じた人にもまったく必要ないことなんであったりします。

例のstudygiftとの違いはここにあると思うわけですね。ようは、裏表がない。社会的意義もうたわない。善意に対する訴えかけもなければ用途について綺麗事も言わない。これでいいのだと思うんだよね。

佐々木俊尚さんが言っていた「嫌なら見なけりゃいい」に完全に当てはまるのはこっちの案件ですよね。社会的意義もなけりゃ既存の仕組みをぶち壊すこともない。賛同できなければスルーしてなんの問題もない。仕組みがまずいねとか、教育支援のあり方として問題があるとか、目的に対して手段がリスキーとか、そういう批判が起こり得ないわけだ。
studygiftはその目的としているところに対して、対象に負わせるリスク(自分の商品化)が過大だったという構造上の問題があったため問題視された(その後の嘘がバレた話はまた別の話である)。でも、phaさんはネオニート?であるところの自分を商品化して生きてきたとも言えるわけで、今回も正しくそこをマネタイズしているだけなんであって、目的と手段は完全に一致しているといってよいでしょう。そして、その生き方に賛同する人からだけお金が集まる。実にウェブ時代の健全な資金調達の一つではないかと思うわけ。

それをネット乞食である、という批判をすることはできると思う。資金調達のやり方ではなく、その生き方に対してクレームを付けることはできる。なぜ働けるのに働かないのかと。俺だってだるいけど生活するために必要だから働いているんだと。僕も正直そう思うから、phaさんの生き方には賛同できないし、どこかで野垂れ死んでも仕方ないと思うし、その前に生活保護が機能すれば良いと思うし、でも仕方ない状況だったらできたら働いて欲しいと思うし、でもその生き方に賛同する人が金を出して働かないで済むんだったらそれでいいと思うし、となんだか複雑な感情があったりはする。少なくともネット芸人としての役割を果たしてそれで幾ばくかの収入を得ているのであれば、それはそれで社会的には働いいると見なしていいかもしれないと思ったりはしているんだよね。ようは「大道芸人は遊んで金を貰っている!けしからん!」とは言いたくない。

ここで大事なのは、特にウェブ時代だからということもあるかもしれないけど、裏表がないということなんだろうなと思う。生き方を評価するにはその生き方が生のものでなければならないだろうし、まあそれ自体が作られた芸だとしても、それを貫き通せば真実である、とはいえよう(この時代にそれは難しいけど)。studygiftが最終的にあんな結末を迎えてしまったのは、その仕組の問題もさることながら、そこに嘘があったからだ。しかも稚拙な。

そういえば、返金の話がきな臭くなっている。普通に考えるととりあえず全額返金すればいいじゃん嘘だったんだから、と思うんだけど、なんやかんやで説明会がどうとか言ってすぐに返そうとしないのは、実は使っちゃったんじゃないか疑惑が浮上してしまうんだけど、それに全く答えないことも含めてヤバイんじゃないかなーって思う。こういう事例が頻発するとクラウドファンディング自体が何か規制の対象になったりして、今回のphaさんみたいな案件が審査のもと弾かれるような世の中になってしまう気もするんだけど、それだとせっかくの仕組みがもったいないよね。

そういう意味で、拙速は罪なのである(最近こればっかり言っているけど)