現在のウェブサービスにおいて拙速は罪
既存の枠組みを打ち破れ!
うん、大いに結構。だけれども、既存の枠組みというのは単に利権とか、既得権益とかそういうものからだけなるものではない。消費者保護の観点からの法律であったり、事故防止の為の規制であったりと、今までの社会が積み重ねてきた歴史を背景としたものが枠として組み立てられているものがあるんだよ。
もちろん、それを悪用し、枠組み自体が既得権益を守るものだったり、新しい仕組みを排除する結果に陥るものだったりする。その最たるものが著作権。
著作権については、様々なそれを打ち破ったり、形を変える試みというのが行われてきたと思う。音楽においてはNapstarの登場がすべてを変え、iTuneに帰結した一方で、ダウンロード違法化という結果を招いた。
既存の枠組みの一部は打ち破られたけれども、それがもたらした害も大きいということだ。もちろん、ダウンロード違法化は音楽におけるウェブ民の試みが全ての原因だとは思わないけれども(むしろコンテンツであれば映像絡みのほうが強いだろうし)。
だから、今までできなかったことをやろうぜ!というのはとてもワクワクするし、意義のあることだと思う。でも、既存の枠が十分に理由のあるものであれば、それを壊すことによって起きる影響なんかはきちんと考えなければならない。その枠組が単なる既得権益であっても法的な問題があるのであれば、それを変えていく努力をしない限りは脱法なんちゃらと大して変わらない。既成事実を作ろうとして潰れていったサービスはたくさんある。でもそういう屍のもとに法改正があるというのも否定し得ないので、罪をかぶっても世界を変えたいという人はどんどんやるといいと思うんだ。法治国家として正しいアプローチではないけれども、世界を変えるにはそれほどのものが必要かもしれない。もちろん、それを使うことによって同様に罪を得る利用者がいるかもしれないけど、それを含めて原罪を背負うつもりがあればやるべきなのだろうな。
多分そこには絶対悪というものはないだろうし、むしろ本人としては正義だったりするのだろう。それが社会の仕組みである。だから、確固たる、世の中をより良くしようとする考えによってそれを行う人は仮にその行為が現在の社会に照らして問題があるとしても、その行為は賞賛されてしかるべきかもしれない。
一方で、単に早くやるがために考慮を欠いた、という結果を社会的意義で覆い隠そうとするような行為はたいていが糾弾されるべき行為なのだとも思う。