続・「無断転載から身を守る」必要はあるか

前回の記事に沢山コメント頂いたのですが、個別に応答する時間がないのでざっくりとそれを踏まえたエントリで代替させてください。
というか、これも多分中途半端なので続く可能性があります。

まず、いんちょさんの見解について。僕は実は彼(彼女)の見解については文脈を排除して考えると概ね賛成できると思っています。ただ、いくつかの前提についてはすりあっていません。特に無断転載をされることを前提にすべき、という点については。
もちろん、現実がそうであることも、そのことを考えることなしに文句をいうことも意味が無いだろうということには同意できるのですが、原則論を現実に適用していくのが前向きなことだと思っているので。

喩え話地獄は嫌なのですが、ブクマも含めこういうご指摘をいただいています。
「引きこもるのではなくて、防衛手段を持って外出しろ、ではないか」
ところが、無断転載を防ぐ仕組みって、いくつかあるとは思いますが、本質的には無断転載を防ぐ仕組みは実現不能なんですよね。右クリック禁止なんてのはナンセンス(意味が無いし)追跡できる仕組みがせいぜい。特に画像であればSSとってくり抜くという手段もあり本質的な防御策はありません。
なので、追跡して文句をいう、というのが一番の対応策なんですが、それはあくまで「無断転載された」後の話で合って。
なので、現実的な防衛策というのは「されても諦める気持ちを持つ」くらいしかないことになってしまいます。それはどうなの、というのがあの喩え話に対する僕の喩え話なのでした。

僕はしばしば「反論される覚悟がないならウェブで発言するな」という主旨の主張をします。これは、意見に対して反論があることは当然だし、それが違法でない以上、防ぐすべもないからです。
無断転載に覚悟を持つことはコレに似ていますが、唯一異なるのはそれが本来違法行為であるということ。なので、違法行為について何がしかの妥協をしなければならないのは、実のところ現実論でもなんでもなく、もっというと、自分の都合のいい所で無断転載を許容してもらいたいという人もいるのではないかという思いがあります。やっただけで総スカンという状況があれば抑止力になります。

この議論の中で無断転載を正当化している人は誰も居ないと思いますけれども、であるならば、少なくとも建前の上では無断転載を無くすことをあきらめないことをベースにしないといけないと思うんですよね。

とはいえ、ウェブにあるコンテンツをシェアして利用したいというのも事実。

発信者側もコンテンツに対する権利意識を高めて、きちんとした形で「これこれこういう用途には使っていいですよ」というアピールをすることで、逆に無断転載的な問題をなくしていけるんだと思っています。(つまり、twitterのRTやらに対する見解のようなものね)
で、それがないものは使わない。あるいは、作者と必ずコンタクトを取る。それだけのことです。

いわゆるフェアユース的なものがうまくいかないのは、実は発信者側の権利意識が曖昧な部分にもあるんですよね。こういう議論をきっかけに、「使ってもらいたい」人が正しく使ってもらうための手段を取るようになる、というのも建設的な方向性でしょう。

繰り返しになりますが「無断で」転載やら素材に使用する、というのはやはり問題ですし、それをしかたがないものと捉える必要はないと思います。それよりも、積極的に使用許可を出したり、そういう表明がしやすくする(例えば投稿時に転載許可マークを付ける投稿システムを作る)ような方向性のほうが正しいと思っています。無断転載をシステム的に取り締まるのは事後の訴え以外には難しい。

なので、無断転載は糾弾すべきだし、嫌なら公開するな(これはいんちょさんの主張のことはさしていませんよ)という意見には賛同できないのです。