「無断転載から身を守る」必要はあるか

今年の夏の自由研究課題は「無断転載について」ですよ!みなさん宿題は忘れずにね!

はい、随分と活発な議論が繰り広げられています。
『無断転載はされて当然、そう思えないならネット上に絵を上げるな』 - Togetter

しかし、どうも原則がすっ飛んでいるようなので、少し僕の見解をまとめてみましょう。喩え話地獄になったらすまん。あと、トレパク問題なんかは無断転載に目くじら立てる話と同じ文脈で語られるけど本質的には全く異なる話なのでここでは無視します。

そもそも、無断転載自体は犯罪行為というところには少なくともこの議論では異論はないのかと思います。問題は、それはされて当然なのかという点。犯罪行為なんだからされて当然なんてことはありえないんだけど、そう思っていない人がいるようです。
そして、それについて注意喚起することは無駄なのでしょうか。そもそも犯罪だと認識してない人が多いだけではないのか。

そもそも、自分の著作物をネットに公開するのはそれを「自分の著作物」として公開したいからです。しかし、ネットの仕組み上、公開したものを無断転載することは容易です。もっというと、スキャナが安くなった今、あらゆる印刷物は無断転載することが容易です。しかし、印刷物についてはネット上への転載が捕まった事例がいくつもありますよね。つまり、行為の容易性が無断転載を許容するというロジックは成り立たない。極端な話、ネットでの無料公開著作物の無断転載が司法の場にめったに行かないのは、それを行うコストとリターンが見合わないだけに過ぎない事例はたくさんあると思います。

というわけで、原則NGというベースラインを引くべきかと思います。なのでこういう喩え話には異を唱えたい。

僕としては、この無断転載を防御せよ、というのはこういうことだと理解しています。
「路上には通り魔やひったくりが沢山いる。被害に会いたくなければ外出すべきではない」
果たして、その理屈は受け入れられるでしょうか。女性は夜出歩くなという話にも似ています。
ようは、犯罪はする奴が悪いし、防犯というのはある種の自己責任ではあるけれども、世間一般に「普通」と思われる行動における制約としての防犯をしなければならない社会はおかしい、ということです。嫌なら引きこもれ、というのはどう考えても健全な社会ではないでしょう。日本は戒厳令下の国かなんか何ですか?

問題は、その通り魔やひったくりが自分の行為について自覚的でないという部分にもあります。無断転載が如何に著作者の不利益になるか、というのは場合によっては実感しがたい。ただだからいーじゃん、という話になりがちです。まあ世の中無料の展覧会なんてのも沢山ありますが、ただだからいーじゃんとコピーしてクレジット付けずに別の場所に飾るというのが許容される話かというとそういうわけではありませんね。

ウェブでは、簡単にそういう行為ができてしまうのですよ。だからこそ、無断転載はダメなことだよ、という注意喚起をすることは大事なんですよ。

さて、原則NGである以上、転載という行為を行いたくなった人がすべきなのは、簡単なことです。「無断」「転載」をしないということ。方法論はいくつかありますが、現実的なものを。
1.許可を得る
2.リンクや引用(これも実質リンク)を行う
うん、転載だって無断じゃなければ問題にならないんだよね。転載をするということは、その何かについて価値を認めたということなのだから、その価値分の手間を惜しむことをしなければよいのです。
それだけの話だと思うんですけどね。

泥棒がいることが当たり前、という世界を無条件で受け入れるようなことは止めましょう。

追記

いただいたコメントを受けて続きを書きました
続・「無断転載から身を守る」必要はあるか - novtan別館