影響力に関係なく、発言には責任を伴う

うん、影響力があるんだから責任を云々ってのは大抵の場合、単に気に入らない言説への文句だとは思うよ。
「影響力があるんだから発言に責任を持ってください」 : まだ東京で消耗してるの?
でもね、氏の言葉を借りていえば、「子供でもない限り、ウェブに公開する発言には責任を持つ」のが普通だと思うんだよね。引かれているちきりんもその点ひどい。まあちきりんははてブも非表示にしちゃったしね。
責任ってのを過剰に重たくする必要はない。間違った事実を伝達しちゃったことがわかったら謝罪して訂正するとか、その程度のことなら誰でもできるわけだし。でも、はじめから無責任を自認して受け手側に責任を押し付けるってのはズルさ極まれりというか後釣り宣言みたいな滑稽な考え方だと思うわけ。そりゃ受け手側にだって責任はありますよ。でもね、それは発信者側の責任とは別個に発生するものだし、もっというと、二次的に発信することに対する発信者としての責任が大半なんです。自分自身が信じるだけなら誰に対しても責任なんて発生し得ないからね。そのことを考えたら一次発信者に責任がないなんてありえないよね。つまり、受け手に責任があるって言い方は本質的には完全に責任転嫁する考え方なんだよね。嘘を信じたバカが悪いというやつ。

まとめると、影響力によって発言が制限されると言うのはその影響力がよほどのもの(政治家とか)でない限りおかしなこと。だからといって発言そのものに責任を持たなくてもよい、と言うことにはならない。

もう一歩進めると、影響力を自覚できる場合は、その影響力を意識して自粛的な制限を行うことはやっぱり必要なことはあるし、場合によっては罰せられることがあることは心に止めておくべき。不用意な発言が詐欺の片棒を担ぐ事だってあるんだから。思想とかの問題を他人に言われて制限する必要はないけどね。人を騙す事に加担しない、と言うくらいはすべての人が共通的な規範として良い「発言の責任」なんじゃないかな、とか考えちゃいますね。