もう一度「有名人RT問題」を考える

はるかぜちゃんとかゾゾタウンの社長とか、はたまた孫さんワタミさんとか、いろんな立場の人がいろんな放言をするTwitter界において、なんのバックグランドもない一般人が同じ土俵であるか、というところも含めて、かなりケースバイケースに語られていて、結局のところ原則ってのは立場によって違うのではないかと思う今日この頃。
というのは、LSTYさんのこれを見て思ったこと。

このケースが悪い方向に言ってしまうと、単に一般的な発言をしたのがたまたま気に食わない有名人に見つかった結果として思いもよらない恐ろしい事態が起きる可能性もあるってことか。
もう一度原則を考えてみると

  • Webにおいては有名無名にかかわらず発言は等価である
  • 従って、影響力の有無に係らわず、発言をすることができる
  • 悪口を言われた側が悪口をRTして責めるのは当然の権利

ちょっと書き方がネガティブ方面かも。
ただ、この原則というか前提において、本当に発言が等価かというと、それはちょっと違う。フォロワーの数が問題と言うよりは、見た人がどっちの味方かという問題で、内容の正しさにかかわらず、「誰が言ったから支持」というレベルの支持をしている層がどのくらい厚いかという問題。

この手の原則は参加者の知性が等しいことを前提においている部分があって、そうではない現実があるときにそれにアダプトするルールやマナーを原則に反していると排除することがあるんだけど、それは危ないんじゃないか、というのが僕の上から目線(ぇ

だってさ、例えばテレビで政治家がまともな目から見るとアホなことを言ったけど大衆がそれを支持することってあるじゃないですか。生保のアレとか。だから、影響力によって発言は制限される。もうちょっと細かく言うと、慎重な姿勢が求められる。それはウェブだろうがそれ以外の場所だろうがおんなじ話で。
となると、やっぱり例えば悪口をRTするにせよ、それが引き起こす影響を考えた上で行動するというのが正しいし、公共の場で発言するということに対する原則でもあるんじゃないかと思うんだよね。もちろん、悪口を言った相手がバカなのは自明としてもね。

いらぬ心配だと思っていますが、僕だって仮に何かで有名になってしまったら、昔のエントリーをそのまま残してよいものか、という点についてはしばしば考えています。まあ有名になんてならないけどな!