「隗より始めよ」の勘違い

政治家が放言したりすると、「お前からやれよ」の意でよく「隗より始めよ」という中国の故事から来た言葉が使われますよね。でも、この言葉の意味ってとても広く誤解されていますよね。

そもそも、隗より始めよ、というのはどういう故事だったか。
春秋・戦国時代(紀元前ですね)の燕という国は今で言う北京のあたりから渤海沿岸を支配した国。(中国の)戦国時代には楽毅という名将を出し一時隆盛を極めました。
そんな燕が落ちぶれていて、人材が集まらなかった時代。困った王は家臣の郭隗に助言を求めると、「まず私を優遇してください。大したことのない人材である私ですら優遇されるということであれば、もっと優遇されたい有用な人材が集まってくることでしょう」なる助言を行いました。
これが隗より始めよ、ということになりました。つまり、最近言われる「自分自らまずやれ」という意味では全然ないわけですね。
というか、この話、現代人の感覚からするとおかしいです。だって、大したことがないと知られている人材を優遇するなんてこの君主アホかって思って誰も来ませんね。でもきっと当時は登用される or Dieの世界だったから自分をいかに高く売るかが重要だった感じなんですよね。
郭隗にしろ、有能でない自分をわかっていながら厚遇を受けるチャーンスって思って適当なことを言った可能性がありますwただ、古代の中国だと効果ないからお前死刑な!ということが簡単に行われますから適当なことをいうのも命がけではあります。
というわけで、この言葉、あんまりいい言葉じゃないんだよね。