影響力のある人が考えるべきこと

あらためて。最近の炎上2件。橋下−慰安婦問題と乙武レストラン問題。
よく、影響力考えろよというと「自由にものをいう権利がないのか」と反論される。場合によってはないです。はるかぜちゃんRT問題でもあったと思うけれども、原則としては、影響力によって物言いが制限されることはないと思っている。けれども、現実問題として発言によって引き起こされる社会的な問題があって、それについては影響力なりの熟考をしたうえで発言をするべきだと思うし、それによって引き起こされた事態についての責任はやっぱりある。責任って言ってもいろんな取り方があったり、場合によっては無視することも可能なので、責任が発生する=発言を禁止するではない。ただ、そこに責任が存在するだけだ。
橋下問題は弁護士かつ市長というインテリ層であるべき、かつ公的な立場を持つ人間が社会的コンセンサスに対して反旗を翻したという重大事案であって、まあそれだけならそれなりに発生する事案なんだけど、問題はそれがすでに政治決着しているものであり、再清算を求めていると捉えられていること。そりゃあ状況を収集する責任はあるよね。その一つには政治から身を引くというのも当然あるし、きちんと向き合って謝罪することもできるし、(悪いことに)世界を敵に回しても戦う覚悟を決めることもできる。もっとも身内から刺されそうだ。
乙武問題はもっと話は単純で、愚痴るならもっと違う愚痴り方があっただろってことにすぎない。でも、一旦火がついちゃったら何らかの形で収集するか、もっと燃やして灰にするしかないよね。もちろん灰にする過程でいろんなアレ認定がなされるだろうけど、それはそれである種の責任のとり方ではある。
ともに、面倒なことになっているのは影響力があってこそで、影響力を発揮しない所で自由に発言する分には誰も文句言わない。

ちょっと思うのは、影響力を持つ、というのは社会に何らかの貸しを作った結果であるということ。なので、影響力を行使するというのは社会から借りを返してもらうということにほかならない。であるならば、そのことが更なる貸しを生まない限りは影響力ってのはどんどん失われていくよね。