自由を求めて飛び出すと、実は羽がないことに気づく

もう飽きるほど言っているけど、自由ってのは紐付きなんですよね。紐がついていない自由がないわけではないけれども、それは野生と大して変わらない。
何についての、どんな自由を欲しているのかな?あなたの自由は誰のおかげで成り立っているのかな?

が、そんなことは独立当初にはまったく予想ができないことで、少しでも何か誤算があれば、僕は無収入になって、生活保護受けていてもおかしくはありません。

じゃあ、そういう「可能性」があるから、この場合の僕の自由(独立)が制限されていいかというと、決してそうではないと考えます。社会に少々の負荷が掛かる可能性があれど、個人の自由の方が尊重されるべきです。これは当たり前のことですし、社会保障とはそのためにあるのではないでしょうか。

「自由に生きたい若者が増えて、生活保護受給者が増えたらどうするの?」 : まだ東京で消耗してるの?

まあ確かにそのとおり。ただし、「少々の」で済んでいるうちは。ただし、社会保障が個人の自由を尊重するためにある、というのはおかしいと思うけど。人間の生存権を保証するためではあるし、社会の安定のためでもある。言ってしまえば、「国家に生かして貰う」状態であり、やっぱり紐付きの概念だとは思うわけです。
なので、

こういう話をする僕のことを「無責任」だと感じる人は多いでしょう。「お前みたいなヤツのせいで、俺たち真面目に働いている人間の税金が上がるんだ」「稼ぐ力のない、ヒッピーのような人間が増え、日本の国力は落ちてしまう」なんて声が聴こえてきそうです。

そんな声に対して、僕は「じゃあ、自由を欲する若者は、どういう条件で、自由になることが許されると思いますか?」と聞き返しそうと思います。

そういうことを語る彼らは、論理的であるのなら、「一定の条件下においては、個人の自由は制限(許可)されうる」と考えているわけです。

「自由に生きたい若者が増えて、生活保護受給者が増えたらどうするの?」 : まだ東京で消耗してるの?

に対しては答えないといけないと思いました。

ただ、お分かりの通り、そういう条件は規定するのが困難で、かつ実効性を持ちません。条件に反した場合に、法的な処罰を与えることは難しいでしょうし、倫理的にも許されないように思います。

人はどうあっても自由を志向しますし、それを制限するのは困難です。また、そもそも若者たちに税金を納めようとしても、経済が停滞している以上、そもそもお金を稼ぐことすら難しいことも重要でしょう。

「自由に生きたい若者が増えて、生活保護受給者が増えたらどうするの?」 : まだ東京で消耗してるの?

と言っていますが、非常に単純な話として、税金が上がります。現物支給じゃない限り、生活保護も消費税増税の影響を受けます。次に、支給額が落ちます。やっと暮らしていけるだけの収入と引換にした自由は果たして本当に欲しかった自由なのでしょうか。

あくまで、生活保護セーフティーネットだし、自由を求めてそれが得られなかった以上、生活保護を使っているうちは結果として求める自由が失われている状態だと言えます。であるならば、自由を諦め、もっとましな生活を得るような努力をするか、自由に向けて旅立つための準備をするために、もっとまともな資金稼ぎをしようとするのが自由を求める人間のすべきことではないでしょうか。
であるならば、「生活保護受給者が自由を求める人が増えることによって増える」というのはそもそも前提がおかしな話になります。延べ人数で言えば増えるかもしれないけど、継続して受給している人が増えるはずがない。増えていくのであれば、労働人口が減るわけですから、需給バランスが崩れて仕事は増えることになります。もし、それでも増えないようであればもう経済は破綻しているので一緒に死にましょう。

非常に単純な話にしてしまいましたが、基本的な路線はこうなると思いますよ。

というか、イケダハヤト氏は自由の概念も、それを求める人の心もわからないで語っているように思えます。自由は怠惰なのではないし、何から自由になりたいかも人それぞれで、自由を求める若者という概念も非常に曖昧です。単に起業したい程度の話にしか見えません。
でも、実際には、自由のためにサラリーマンやっている人もいれば、自由のためにアルバイトをやっている人もいる。僕なんてのは土日の余暇を最大限活かしたいから仕事の鬼にはならないのです。

セーフティーネットは個人の行動の結果のためにあるわけであり、目的のためにあるのではありません。またそれを使うことに依存することは、結果として大抵の人にとっては求めている自由を制限することになるでしょう。自由を求める人にとっては、あくまで、再起のためのワンステップでしかなく、生活保護に依存してしまえば求めていた自由を諦めることなのですから。でなければ、最初から自由なんて言わず「怠惰だから生活保護使いまーす」といえばいいし、それは社会の構成員としては基本的には許されないことだということはわかっていると思います。なんで短絡的に失敗=生活保護かなあ。

大抵の、自由を求めて失敗してしまった人は、再起のためにバイトしたり、就職活動して再度サラリーマンになったりして頑張っているんですよね。中には借金を背負って自殺してしまったような人もいますが、そういう人にこそセーフティーネットをきちんと活用して欲しいし、逆に、「生活保護あるからまいっか」的な態度で自由を求めるのって自由に対して失礼じゃないですかねえ(妄言

あらためて確認しておくと「自由に生きたい」が指している自由が何であるのかによって、それを求める方法も違えば、成し得なかった時に何が起きるかも違います。また、自由を得るためには少なからずそれを社会が容認する必要があって、それにはその自由の価値をきちんと示せるかどうかが大事なのだと思います。そういう前提なしに発せられる「自由に生きたい若者が増えて、生活保護受給者が増えたらどうするの?」という問にはさっぱり意義を感じない。

まず、自由とは何かをちゃんと考えたいですね。