大勢で音楽をやる楽しさと辛さ

秋は演奏会シーズンなんです。
音楽ってのは大人数でやることは本質的には難しい。音楽の感覚は人それぞれだし、楽器の上手さも人それぞれ。プロであれば、その音楽のスタンダードの部分をしっかりと揃えるための学習、修練を行うので、ある程度ベースラインは揃っている。また、演奏家としてのプロは楽器に徹することができるから、音楽としてのエゴを出さないこともできる。無論、楽器に徹するというのは求められる高い音楽性をそのまま音に表現できるということであって、高い音楽性あってのことなんだけどね。
奏者としての音楽性ってなんだろう。かっこいい。美しい。繊細。きらびやか。色々あるけれども、そういう形容詞で表現できるようなフレーズを奏でることができることなんだと思っている。もちろん、その上に、表現者としての音楽性があるわけで、それは一言二言で形容できるようなものではないですね。
僕は拙いながらも吹奏楽で指揮者をやらせてもらったりするんです。特に技術的なバックグラウンドがないということが大変申し訳無いながらも。
指揮者というのはエゴイストであります。どうしても自分の思うとおりに音が鳴らないと気が済まない。でも、アマチュアで音楽をやる場合にそれが実現できることはまずない。ましてや、それが30人、40人の団体ともなってくると中には譜面を吹き切ることも覚束ないレベルだって混じってくる。音はかっこ良くないし、音程は悪いし、リズム感は悪いし…うまくいかないと苦しいし、腹が立ってくることもある。たまに、こんな苦しみながら音楽をやることに意味があるのだろうと自問することすらある。
でもね、そんな拙い演奏でも、感動できる瞬間は多々あるんですよね。一曲を通して高い音楽性をキープし続けるのはやっぱり難しい。でも、うまくその曲が表現しようとしている感動を譜面から切り取ってその場に提示できた時の喜びは、少人数でやる音楽とは違った形の感動を覚えるのです。そういう瞬間瞬間を少しでも多く増やしていきたいんだよね。

難しいのは、やっぱり演奏者がプロではないから色々なことをかんで含めて説明しなければならないし、反復練習をしなければならないこと。そして、それでも何時まで経ってもできなかったり、前囘できたことが今回出来なかったりすること。ただでさえ貴重な時間がどんどん消費されていきます。それでも、少しずつ前に進んで今日は先週出来なかったことができるようになったぞ、今年は去年できなかったことができるようになったぞ、となっていくのはやっぱり楽しい。

ところが、長い時間活動していくと、どうしても人の入れ替わりはあるし、仕事の波もあるから参加の度合いもそれに応じて波ができちゃったり。そういうのが大事なものを失わせてしまうことだって多々あるのですよね。

そういうところを乗り越えるにはやっぱり個人の奏者としての音楽性が出来上がってくることが大事で、それさえあれば短期間で曲をきちんとまとめていくことも可能なんだよね。
でも、音を一個吹くだけでも楽器から音を出すっていうのと音楽を演奏するってことには天と地ほどの差がある。どうしたら音一個から音楽が飛び出してくるのか、わかっている人とわかっていない人の差。これを埋めることができていくと楽しいんだろうなあと思う。

音楽に対するプライオリティーも、思い入れの強さも、そういった全ての物事がみんなバラバラの個々人をそれでも纏めあげて、ひとつの形に結実させる。これは、少人数のアンサンブルではなし得ない、無上の喜びがあります。曲の最後の強奏の音圧に身を任せて打ち震えたい。そんな思いで今日も心を伝えていこうと頑張る日々。