既存の価値観の否定は慎重に

否定の言葉を吐き出す時は気をつけなければなりません。そもそも、日常的な会話の中では批判をするのに言葉が否定になっていることが多いです。
「全然ダメ。話にならない」
状況や文脈を共有している人の中では、これは批判として成立します。作った資料をレビューしてもらって、こう言われた時、それが価値観の否定になるかというと、そういうことにはならない。そもそも価値観が本題ではないからというのもあります。
でも、なにか新しい価値観を提唱する際に、既存の価値観を否定することでそれを持ち上げる、ということをついやってしまいがちなのですよね。議論の過程においてはそれはありです。が、広く一般に伝えるときにそれをやってしまうと本当に伝えたいことよりも、価値観の否定の独善的な部分が目立ってしまって目的を達成できないことがあります。

どうも勘違いしているように思うんだけど、ノマドという概念そのものは「なんか違わね?」という疑問はあったものの、別にいいんじゃないかなーって思っていた人が多かったと思うんですよ。でもノマドブームの尻馬に乗った人たちが「会社勤めはアホのすること」「社畜乙」みたいなことを言い出したから批判されたんですよ。しかもそれを言いたいがためにノマドの概念を変えてしまった。
別に既存の価値観をバカにしなくてもノマドというスタイルの価値をアピールすることができるはず。
悪い面を批判する、ということは別にいいと思うんです。それは新しい価値観のいいところを強調するための手段として機能する一方で、いい面を否定するわけではないですからね。天秤に乗せるという行為でしかないです。でも、いい面も含めて否定する、というやり方は同じ様は反撃を受けるだけですよね。
相手を完全否定しないとアピールできないことってのは、メリットデメリットの比較をすると容易にその見かけの優位性が揺らいでしまう程度の強さしか持っていないということだと思ったりします。