善悪と属性に関する考え方についての補足

どうももやもやを文章にしたら他の誰かがもやもやしたっぽいので補足的に。元々時間が限られた中でサクッと書いたものだったので。
情状酌量についてちょっと述べたけど、これはいわゆる一般的な意味で言ったのではなかったので、素直に読んでしまうと情状酌量の否定に見えたかもしれない。思うに、情状酌量とはその行為の背景として切り離せないものであった場合にのみ行われるべきで、例えば「家庭環境が荒んでいたのでむしゃくしゃしてクラスメイトを刺殺しました」に情状酌量の余地があるかと言うレベル。もっとも、これには僕の中では閾値があるっぽくて、例えば「親の気を引くために万引きした」なら情状酌量の余地があるとは思う。ただ、本当にここで言いたいのは、司法の場として罪をどう考えるか、ではない。「お前は悪いことをした」と指摘することに対して、こういった背景的なものは全く関係ないだろ、ということ。まああれだ。「親は関係ないだろ親は。まるしー原哲夫
だから、人がどのような属性を持っていようが、悪い行為や(これは政治的なスタンスによって大きく違うかもしれないけど)容認できない考え方について批判することは全く正しいし、逆に属性により批判が許されないのであれば、それはおかしい。もっとも、無意味なことはある。仮にヤクザに「お前は社会の害毒だ」と指摘したところでだから何?でしかないだろう。ナイーブなヤクザなら「俺達だって少なからず社会にとって必要なんだよ」と反論するかもしれないけど。