自民党の勝利で脱原発の民意は踏みにじられるのか

比例区の得票数割合をもとに、自民党の勝利は完全ではない、ということを言うのは現実的には誤りであるが、民意がどこにあったかのバロメーターとしては考慮に値する事実だと思う。
小選挙区制というのは今回の政局(前回もだが)のような場合においては一方的な結果をもたらしやすいという面での弱点はあるものの、票がバラつきすぎることで国政の運営が滞るような自体は避けられやすいだろう。政権、というものを成り立たせるためにはこのような形は必要かもしれないし、同時に、民意を計るという意味での比例制の存在意義は大きい。この現状を持って陰謀だ騙されているだの言う人はどうかしていると思うけど。

さて、結果としては自民党の大勝利だったために、「脱原発の民意などなかった」という向きもいるけれども、前述した通り、脱原発を掲げた政党への投票も多かったことは事実だ。もっとも、自公維新で半数を占めているが。なので、依然として原発への懐疑と再発への恐怖は根深いと思っている。一方で、放射能への極端な反応によって現地の復興が遅れていることは遺憾である。
自民党は、原発存続を考えるのであれば、もう少し教育水準を引き上げることも考えなければならないと思っている。ぶっちゃけ、格差社会で教育水準に差が出るような国には原発の運営は不可能であると断じたい。これは、結果として作業者に教育水準の低いものが充てられることによるリスクよりも、格差により競争が少なくなった支配階級の実質的教育水準の低下によるリスク認識や判断力低下の方が問題だと思う。
僕自身は積極的な脱原発派ではないものの、今回の自己における政府首脳の対応をみるにつけ、現代社会はイデオロギーだけでは政治ができない、ということを実感するのだ。たとえば、徴兵話だって、費用対効果としては最悪だ、というところを踏まえた議論をしないと全く現実味がわかない。国を強くするというお題目が単なる精神論でしかないのはそういうところに強く見られる。
一方、脱原発側にもそういった視点は必要だと思う。国破れて山河在り、の風景を守ることが目的なのであればまあよいんだけど。子どもたちの未来が云々、というのも子孫に遺せるものをちゃんと考えた上でのことなのかどうか。
脱原発は民意」という言葉でくくるのは簡単だけど、その中でも利害が絡んで必ずしも一枚板の考えではないというのは重要なポイントだと思う。
夏の参院選に向けて、現実的なポイントを抑えて脱原発について議論していくことが大事だと思うし、そこで尽くされた議論が参院選に結実した時、はじめて「民意とはなんだったのか」がわかるんだと思う。

参院は解散がないので、次の選挙で選ばれる半数は、6年間の国政を担うことになる。まだまだ、日本の政治はふらついている。