銃乱射はゲームにより引き起こされるのか

アメリカでまた痛ましい事件が起きた。かの国では銃を持つ権利を守ることは命より重い、という勢力が割とたくさんいる。
xxは命より重い、という言葉ば大変重たい言葉で、ともすれば何かの被害が起きる現実を社会的に容認する根拠となりがち。dead or aliveな状況下であれば仕方ないのかもしれないけど。
さて、本邦に限らず、世の中には「xxの影響でyyが起きた」としたり顔で言う人がいるものだが、アメリカでも「この事件はゲームのせい!ゲームを規制すべき」という人がいる。しかし、人の行動において、全く外部からの入力の影響なしに起こされるものなどあるのだろうか。
日本におけるゲーム脳なるものは、脳波を独自に解釈したトンデモ理論であるけれど、今回の主張はそういうのではなく、いわゆるスタンダードな表現規制派の言動と思われる。
「ゲームに影響された」と「ゲームのせいである」には大きな隔たりがあって、仮に後者が証明されたらさすがに問題だろうけど、前者についてはむしろ当然だろう。ようは、例えば暴力的な願望を抱くに至った発想の源泉がどこなのか、というだけの問題であり、それは小説、映画、マンガというフィクションだけではなく、新聞やテレビの報道、友達や家族との会話なども等しく可能性がある。
その中で殊更にゲームだけを問題にするのであれば、実際に行動を起こすトリガーになる要素が他の表現より多いということを証明しなくてはならない。直感的には、昨今のFPSのような移入体験型ゲームは実際の行為につながりやすいようにも思えるけれども、もっと別の理由で説明がつく犯罪がほとんどである現状において、説得力のある統計データは出てこないだろう。つまり、ゲームが暴力的であることが人に与える影響は乱射事件を起こす原因となるとはいえない。
まあ、人に影響を与えない表現物などないと思うから、レーティングのような規制は必要かと思う。ただ、表現そのものを規制しないと問題が起きると言うのは人間の理性についての問題提起だ。理性を疑うのは構わないのだけど、であるならば真っ先に規制されるべきは直接的な暴力装置である銃だろうし、凶悪事件の報道だろう。ゲームごときで乱射の妄想を実行に起こす人間の存在を危惧するのであれば、銃を理性的に扱える人間などいないという前提に立つべきだろう。