IMEの入力は正規化されるべきか

ちょっとおもしろいなと思った。

しかし、少なくともローマ字入力というコンテキストにおいて、同変換ができないとか、誤りだと指摘することは、余計なお世話だと思う。(指摘はオプショナルだけど、少なくとも変換はできるべきだと思う)

https://plus.google.com/107334123935896432800/posts/ZVX881WYcEQ

これは、昔から結構思っていた。ここで触れられているATOKなんて指摘が出るだけマシで、MS-IME(最近のは知らんが)なんてただひたすら候補に出ないという状態で、気づきを促してもいない体たらく。

GoogleIMEを最近は使っているんだけど、固有名詞における利便性はもちろん、携帯文化(あるいはインクリメンタルサーチに源流を持つ、の方が正しいのかな)に類似した予測変換の便利さが同じような言い回しや単語を使う場合にはとても有難い。
MS-IMEの「あ、変換候補間違っちゃった。もう一回…あ!さっき変換した候補が最初になっていて間違えた!」のイライラが入力するたびに候補が出ることで緩和されているのがとても大きい。情報の表示が早ければ早いほど、誤認する可能性が減るわけだ。

引用先でもそのことは触れられていて、つまり、入力を目的とした場合において最も大事なのは、いかにアウトプットを早くするかであり、DUだろうがZUだろうが、正しい候補を選択するという行為にたどり着きさえすればいいのだ。

DUとZUは本当は違うものだ、という議論はあるかもしれないけど、こと発音の上で(退化したのかもしれないけど)差がない現状では過程はどうでもよいのである。かつては正しい方を入力しなければ正しいカナを出力できなかったからこそ、入力時の正確性が求められていた。いずれにせよ、出力する結果の正しさを知っていなければいけないことには変わりない。ただ、多数決的アルゴリズムによって間違ったほうが候補として優先されてしまうのであればいただけないけど。

もう長年キーボードというデバイスから人類は脱却できていない(スマホのアレも結局のところキーボードではある)。日本語の特殊性(文章を書くにあたって変換を伴う)というのは現在のところ日本語入力を難しくしている。もし、音声認識でDUとZUを発音仕分けなければ正しく入力できない、となっていたらどうすればよいのか。僕はその2つを言い分けることができそうにないぞ。

将来、入力デバイスはもうちょっと脳そのものに近づいていくのではないかと思っている。そうなった時に、我々は果たして50音で入力するのだろうか。それとも漢字と平仮名を思うのだろうか。漢字を忘れたら文章が書けない、ということにならないとすると、発音から文章に変換されることになるのだろうけれども、今自分が紙に文章を書くにあたっては、読みと同時に漢字そのものを出力しているので字を書く時の読みは漢字の字形を想起するためのキーにすぎないのかもしれない。