自民党が目指しているのは「一億総ブラック」なのか?

だってさー。そういうことじゃないのかなーって思っちゃいますよね。

昨日のエントリが予想外に反響を読んで戦々恐々(何にだ)です。はい。

昔、ちょっと炎上したエントリーがあるんですよ、うち。

一部の成功事例に騙され、人生にはゆとりが必要と思わされて、頑張らなかった人が負け。仕事も趣味もっていうのは、実は頑張ってそこそこ勝ち組にならないと実現できません。そんなこととっくに気付いているはずなのにね。

格差社会の原因なんて、みんなとっくに気付いているよね - novtan別館

まあこれは酔っ払って書いたので、色々と突っ込まれまくりましたが、ここで言いたかったのは、バブルのよって人生の価値観が歪んだ人たちの煽りに乗って人生における仕事のプライオリティーを下げ過ぎちゃった人が今苦労している事例が結構あるよね、ということですね。でも、今は当時(もう6年前ですね)と比較しても「頑張ってもどうにもならない」という状況がひどくなっているように思えますね。その一方で、一生懸命働くことへの嫌悪感的なものは未だに根強くて、それが最近はノマドがどうとかそういうところで出てきたように思えます。
個人的には「全てはバランス」という部分に重きを置いています。そのバランスを決めるのはあくまで本人であるべきで、仕事に燃え尽きる人生を選んでもよし、仕事はそこそこで趣味に費やすのもよし、それを他人がどう思うかはさておき、できるだけ人生の選択肢を強要されることがない世の中で有って欲しいわけですね。仕事に比重を置けば置くほど(成功しない一定のリスクは賭けとしても)収入が得られ、逆の選択をした場合でもそこそこの暮らしができる。まあ日本でこれを言っているからあながち夢物語ではないのかも知れず、そもそも考え方が贅沢なのかもしれませんけどね(スペインの若者の失業率が50%を超えているという現状から比べるとね…)

とにかく、生き方を強要されない。これ大事。

さて、僕の考え方はともかくとして、ワタミの問題もそうだし、生活保護の問題もそうだけど、頑張ることに正比例するだけでは社会というのは成り立たないので、そういう部分で社会制度というのを設計していかなければならないですよね。渡邉美樹氏は以前も触れたけど佐川急便で超絶にキツイ仕事をして企業資金を貯めたという実績を持っています(ちなみに今はそういう働き方はできない模様)。でもさ、ワタミで超絶にキツイ仕事をしても企業資金貯まらないわけじゃん?給与が業界平均よりマシ的な発言をする程度でいいわけないんですよ。自分の人生経験をもって社会を設計するのであれば。むしろ「うちは無限に残業させるがその代わり死ぬほど働いたら年収は余裕で1000万超える!36協定で縛るよりも人生に夢を与えたい!」くらいのことを言っているのであれば(それが強制でない限りは)まだマシだと思ってしまいますよね。実際には法の網の目をくぐってできるだけ安く人間を買い叩こうとしているわけですからねえ。そうでないと成り立たない単価のお店だとは思いますけどね。

最近復帰した某コンビニ店長のエントリから引きます。

本来なら寝て遊んでうんこしてエロゲやって生活したい仕事なんか必要悪でしかないと思ってる俺ですらも、いや、そう考えるからこそか、だったら「せめて」仕事は楽しく、と思う。そのための最適解のひとつが「必死にやること」なのだ。ここは否定できない。

 まあ否定するけどな。

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/06/01/232610

ここが結構ポイントで、「必死にやる」ってことをどう肯定するか、あるいは否定するかが仕事に対する価値観の差であり、その差は尊重しなければならない、ということなんですよね。もちろん、「うちの会社はそういう会社だ」という宣言のもとやってもらう分には構わない(そういう人だけしか来ないだろうし)んだけど、なんかさ、善意の押し付けみたいな感じで人生観語ってだから頑張れみたいな会社が多いですよね。そりゃ僕だって仕事頑張らなきゃって思うことが多いし今なんて人生最大級に仕事しているけどさ、渋々なんですよ渋々。違うのよ。

頑張る目的が人生を楽しむためであるならば、人生楽しくないと意味ないので過労死とかもってのほかじゃないですか。僕が頑張っているのは将来への投資でしかなくてさ、そういう設定すら儘ならない仕事ってのが結局のところ「ブラック」なんですよ。仕事は人生の「全て」ではない。これを認めるだけでいいんだと思うんですよね。だから、渡邉美樹はきっと何を批判されているのかきっと理解できていないと思っているんですよ。彼にとって仕事が人生と直結していないという価値観は目に入らない。一生懸命仕事をしてさえいれば人は幸せだと思っている。自分が会社を作ったのも収入ではなく仕事を与えるためだと思っていたとしても驚きません。

そういう人を自民党は議員の候補にしてしまったのですから、これは一億総「仕事=人生」化であり、それを強制するような価値観を元に社会を運営しようというのは一億総ブラック化を目指していると言っても過言でもなんでもないでしょう。