ワタミは最大多数の幸福を目指している!

デフレ不況下で利益率の低い飲食業において多数の人を雇って経済を回している、そういう会社ですよね!

本気でそう思っているんだろうと。

http://www.watanabemiki.net/journal/post-475.htmlで渡邉美樹氏が上げた数字の中には「過労死」というものは入っていなかった。これに違和感を覚えた人も多かったようだ。

確かにね、ワタミは頑張っているんだと思う。頑張っているんだよ。不況だからしょうがないじゃない。値段上げて売り上げ落ちて社員が首になったら本末転倒だぜ?そうだよね?

そうかな?本当にそうかな?

江戸時代の農民には自由がなかったけど生きていただけで幸せだったはず!的な主張にも思えるよね。

この話にかぎらず、自民党(だけではないけど)の政治家には前近代の価値観を元に美徳となすような風潮が特に最近多く見られる。高度成長期には多分そんなことはなく(0というわけではないよ)て、既存の価値観をどんどんぶっ壊して(その分環境もどんどんぶっ壊したけど)、新しい時代を作ろうとする活気に満ちていた。

今時分、経済も社会も停滞していて、これ以上の新しい(幸福の)価値観を見いだせなくなったことが根本的な原因なのかもしれないね。積極的に幸せを追い求めることが難しくなった(金持ちになるくらいしか手段がなくなった?)ような時代においては、「生きていられるだけで幸せでしょ」という農民は生かさず殺さず的な価値観がそういう形を取らず浮上してくる。逆に積極的にそっち方向を追い求めてしまう庶民も出る始末(某ノマド的な人とか人とか)。

そんな価値観の中で過労死するなんてのはそれが若者だろうが年寄りだろうが「人生を努力のうちに全うした」と見做されてしまうかもしれませんよね。

誰か一人の人生観が社会全体に色濃く反映されることを拒否してきたのが現代の社会のはずなんだけど、ワークライフバランスとか、自由な生き方とか、そういう表面的な部分の自由に隠された、根本的な部分の不自由については目を瞑っている人が多いように思います。

乙武問題だってそういうことの一つで、本来社会を進歩させていくための建前すら、間違った形での個人の自由に歪められている。原理原則的な部分での社会の変革を停滞させているのは社会を導くスローガンを失ってしまった日本という社会の病理なんだと思う。それを取り戻すことは重要なんだけど、外へ外へと向かっているのが恐ろしいと感じてしまいます。