他のものを貶さずに何かを褒めるって案外難しいんじゃないかな

いや、まあこの例はちょっと酷いんだけどw

いやなんでそこで比較対象を出すのさ。
PS3でもボカロでも何でもいいけどそれが素晴らしいのならその素晴らしさだけ説けばいいじゃん。
他がひどいのなんか関係ないじゃん。

成蹊大学法学部教授・塩澤一洋氏(@shiology)曰く「Windowsユーザーってよほどゆとりのある生活なんだろうなぁ」 - 今日も得る物なしZ

絶対評価って、結構難しいんですよ。単に「好き好き大好き超愛してる。」って言うだけなら簡単なんだけど、他人にその理由を説明するとなると、その評価ポイントを挙げる必要があります。そうすると、大抵の場合「比較」になってしまうんですよね。
その中でも、他が酷いっていうやり方は最悪で、単に「相対的にいいだけか」と印象を与えてしまうことがありますけどね。絶対的にここがいいということをいうのに他が「酷い」じゃダメなんだよな。

「俺はXXのここが好きなんじゃー!!!」っていうときに「じゃあなんでYYはダメなの?」「XXに出来ることができないから」みたいになりますよねー。

この話のポイントは「比較優位」を謳いたい場合かどうか。「Macが素晴らしい」というのと「MacWindowsより優れている」というのでは話の持ってきかたが違う。で、素晴らしいのポイントによってはどうしても相対評価をせざるをえない場合があります。PCの評価なんてそんなものだよね。で、まあ比較せざるを得ない、という場合。主観はどうしても入るにせよ、如何に公平に評価するかということがポイントなんですよね。地蔵さんが突っ込んでる先はそこがダメ。相手を不当に貶めている。

何かを評価するときには他のものを貶すという行為が付随しがちです。芸術・エンタメ分野はまだマシで、「どっちも違うけど素晴らしい」ということができるけど、機能性の世界(PCとかね)での評価はどうしても比較優位性を探ることになってしまいます。

この話の教訓的な部分で重要なのは、「貶し方に滲み出る人間性」なんだよねw何かを愛するが余り狂うことは人間よくあることですが、一線を越えずに踏みとどまれるかどうかが人としての器を端的に表しているかもしれませんね。