民主党とはなんだったのか

菅直人を支持するわけではないが、元首相だった人間が口に出した「党を上げて応援する」という言葉を反故にするような党略を拒否したら離党勧告(それも選挙が終わってから)という筋の通らない話をしちゃった時点で「政権を目指す党」としての民主党は終焉を迎えたんだと思う。
一度は「2大政党」とも位置づけられた民主党がなぜこれだけ凋落したのか。単独で政権とっちゃったからとしか言い様がない経緯を辿ってきた。
誕生からずっと、それほど政治に深く興味を持たない目で眺めていた僕にとっては民主党というのは「よくわからない」党だった。リベラルの看板を掲げているようで、自民党から分裂した勢力とくっついたり、左派と呼ばれることは拒否したりとどうにも「野党として都合のいい事を言っている自民党」にしか見えなかった。政権を取らせてみたら案の定「都合のいい事」は全部机上の空論で、起きちゃった現実の危機に対処する能力はそれなりにあった(地震の件は単に不幸だっただけで、自民党が政権を握っていても似たような結果になったと思う)んだけど、未来の危機に対処するビジョンは適当すぎた。

結局、民主党は誰の利害に対しても答えを出せなかった。能力を疑問視された大政党が凋落していくのはかつての社会党を想起させ、復活の日が来ることを想像できなくなる。

自民党はなんだかんだ言って、誰かの利害を明確に代表している。その「誰か」が短絡的な思考によって結果騙されているにしても(最近の麻生の手のひら返しっぷりはさすが自民党の血脈である)、その他の明確な受け皿として機能する政党がなくなってしまえば今回の参院選の結果のようになるのは明らかだ(だから共産党は盛り返す)。

日本の社会構造においては、自民党的利害に対する民主党的利害というのは存在しがたい。かつての民主党の圧勝は、「利権政治に反発するものの利害」なるおよそ正体のない利害関係を代表していたからではないか。結局、現実の政治はそういったものでは動きづらく、期待を次々に裏切ることになった。

昔の労働組合的な利害を本来は代表する政党がなくてはならないのだけれども、労働組合はその「企業の犬」「労働貴族」的なイメージから脱却できないまま縮小を続けている(もはやメーデーという言葉を知らない若い世代もいる)。明確な左派であることを拒否した民主党はやはり中途半端で、社民党は自社さ連立の失敗で求心力を失ったところからついに復活できず、労働者の権利より経済の危機が重要である(ということを今回の選挙ではワタミが象徴した)という結論を社会に出させてしまった。民主党が見るべきは幅広い市民だったのか。明確な支持層を作れず、ただその場の見解が一致しただけの気まぐれな市民を糾合した結果、政権を取り、そして失った。僕が民主党を絶対に支持できなかったのは、そういう不明瞭な存在で在り続けたからであり、個々の政治家についてはそれなりに思うところがあり、評価もしている。

ともあれ、政権にきちんと対峙できる能力を持った(鳩山だって、後から「鳩山VS鳩山」とパロディー化されたくらいには、良い感じの追求を野党時代にはしていた)政党をついに失ったのは悲しむべき所では有り、今後の日本の政治の行く末について真剣に考えなければならないと思う。