野球において「ファールを打ち続ける」のは是か非か

ある程度長く続いた高校野球漫画だとそこそこの割合で「選球眼が良くてバットコントロールがよい選手が相手の弱点を見つけるまでor疲れるまでファールで粘る」という情景が書かれていると思う。一般的に、野球という競技はそういった部分も含めて戦術と見做されていると僕は思っているんだけど、そうでもないのだろうか。
例の千葉選手のカット打法の話で「ファール打ちは野球ではない」とまで言う人がいて、ちょっと違和感があるわけ。

高校野球という負けるまでは常に一発勝負な世界だと、勝つための行動が過剰化するという傾向は確かにあるんだろうけれども、ぶっちゃけこれがフルスイングでファールになったら問題ないわけでしょ。野球がチームの総合力の勝負だとしたら、これもまた勝負の一つの形だとは思う。疲れているのに投げさせるのは選手層の問題。

とまあそこまで割り切っちゃうと正直面白くないんだけどね。僕らが日本の柔道に一本勝ちを望むかのように。だから、松井の全打席四球は話題になった。

今回のスレスレ的なカット打法(まあこれにはサイン盗み疑惑と合わせ技一本的な気配はあるものの)じゃなくて、もっとガチンコファール粘りだったらさぞかし熱い戦いとして我々に記憶されたのであろうと思うと「ファール打ちは野球じゃない」という人の気持ちはイマイチわからない。今回のはあくまで特殊な1事例に過ぎないのだと思っている。