オリンピック開催について思う

月曜日、首都高を走りながら会話する。

「そういえば、これって東京オリンピックの時にできたんだよね」

東京人で首都高を走るのが好きな人はあまりいないと思う。西の方に住んでいる人が千葉方面に向かうとき、あるいはその逆の時、どうしても首都高を通らないとめんどくさい。でも首都高は狭くてバンク角もあって、とにかく走りづらい。そりゃ何十年も前は車も小さかった。

東京でのオリンピック開催について、あまり見解を語ったことはないけれども、僕は消極的だった。成熟した都市である東京にとって、短期間のイベントでの経済効果が果たしてあるのか疑問だったことがそもそもの原因だけど、別の理由としては、僕の知っている東京の姿が急激に変わることがなんとなく嫌だったのかもしれないと思っている。もちろん、東京なんてのは幼少の頃から考えるともう別の町と言っていいほど各所の景観は変わっている。それでも、色々な思い出が残っていて、それらが一気に変貌するかもしれないという恐れがそういう感情を呼び起こす。

決まっちゃったものは仕方がない。これからどう経済効果なるものの恩恵を受けるかを考えたいと思うw

さしあたっては、交通機関の問題が重要だろう。今の通勤時間に観客がバッティングしたら死人が出る。なので、山手線外の弱点である、南北の交通を整備しなければならない。エイトライナーメトロセブンもちろん、高速もブラッシュアップして輸送力の強化をする必要が有るだろう。

なんてね、こういうオリンピックでの必要性にかこつけて自分の利益になるものを主張する人が増えるのではないかな。日本人同士の利権がぶつかり合ってどろどろしたオリンピックにならないといいけど。わりとみんなが一つの方向を向いていられた経済成長期と今を比較して何事家があるとしたらこの辺りが原因になるんじゃないだろうか。