「態度」とか「姿勢」というものが意見にどのような影響を与えるか

個人的な価値観でしかないけれども。

これをしちゃ議論にならないだろっていうのは

  • 単純なダブスタ(理由が浅薄なもの)
  • 嘘、捏造、ミスリード
  • 当人に否定された行間的なものへの拘り
  • 単純な誤り(計算ミスなど)の指摘に答えない
  • 本題じゃないところに対してだけの批判
  • etc...

他にもあるけど、ざっと思いつく限りね。ここにはいわゆる「姿勢」というものもあります。ただ姿勢ってのは必ずしも一環はしない。「誰に向けて」書いた文章かどうかで当然ながら姿勢は異なることが有ります。それは、立場が変わると人が変わるという話かもしれません。

ウェブで匿名で議論する価値ってのは古くから言われているように、立場を離れた意見、すなわち、建前が必要のない純粋な議論が可能(本当に可能かどうかはさておき)ということです。「そう思っていてもそれお前が言っちゃダメだろ」という言葉は世の中にはいくらでもあって、それは趣味の話から社会のあり方についての話まで様々なことに適用されます。

何事かを是か非かと議論している場合において重要なのは立場ではなく、意見の説得力と一貫性です。ここには実は正しさは必要ないのですね。なぜなら、正しさは今まさにこの議論によって作られるかもしれないから。そうでなかれば世の中のことは既存の道徳によってのみ正しさが決められ、奴隷は開放されず、女性は男性の付属物のままになってしまうかもしれない。極端な話ですがね。もっというと、純粋な科学の前には道徳は無力であるかもしれない。ただ、これを原則どおり適用し過ぎると優成思想は是か非かみたいな話に落ち込みがちという罠があります(昨今はこれに近いようなことを政治が率先してやっているような空気が怖いですね)。先人によって作り上げられてきた大事な価値観を単純に否定するような議論に果たして価値はあるのかということは念頭においておくべきでしょう。

一般的にある物事についての議論にその専門家が強いのは、(当然のことですが)その物事がどのような過程で作り上げられてきたかをきちんと把握しているからです。しかしながら、職業倫理的な問題から、立場を持ってものをいう時においては建前的な部分を優先せざるを得ないことも有ります。匿名の議論においては多少その制約も緩むことになります。ただし、あくまで多少。

言い方を変えると、こういう場合において態度とか姿勢というのはその議論に必要な論理に対して真摯であるか否かの部分の問題であり、政治的・倫理的な部分についてはある程度棚上げにしても問題なかろうというのが僕の見解です。

変な話ですが、「科学者だからありえないという言葉は使ってはいけない」というニュアンスの批判があるということがこの問題をよくおらわしているのではないかと思っています。