新年早々「がんもどき」対戦勃発

「がんもどき」という言葉を見るたびに近所の豆腐屋の美味しいがんもどきを食べたくなって困る今日このごろです。

医者じゃない人から見ても「うーん、これは…」的な理論で高名な近藤医師と、彼にずっと苦言を呈するブログを書き続けている長尾医師が新春早々WEB文春でやりあっておりますね。

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3496
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3497

外野としては「がんもどき」理論ってのは究極の結果論でそれで理論といえるんなら世の中苦労しないなー。あ、苦労しなくてストレスたまらないから癌にならないのかなーなんて思ってしまうアレなんですけどね、近藤医師の言葉が奮っています。

「当初から理論自体には自信がありました。しかしその自信は99%までです。アインシュタインガリレオになぞらえるのはおこがましいですが、彼らもおそらく同じような気持ちだったのではないでしょうか。従来の常識を覆すような理論を発見した時、『ひょっとしたら自分は間違っているのではないか……』という『1%の不安』が拭いきれないものなのです。

ただし、僕は23年以上にわたって150人以上の早期がんや進行がんの患者さんと寄り添い、経過を定点観察してきました。その結果、進行がんであっても治療をせず放置した場合、がんが大きくならず、人によっては縮小するケースも確認してきたんです。こうした大量のケーススタディから、僕は『がんもどき理論』は正しいと確信できたのです」

すでに何人もの人が指摘している話ですけど、23年で150人って専門家としては少ないよね。それにしてもアインシュタインガリレオとは。アインシュタインは自身が導入した「宇宙項」を後に撤回したり量子力学の理論に反対したりと現代の知見から見ると誤っていることを主張して、後に「きちんと」撤回していますよね。自分が正しいと確信してそれを一生証拠もなしに主張するという人間ではなかったわけです。科学者としては当然ですよね。ガリレオケプラーの法則を否定して生涯撤回しなかったり地動説の理論の根拠が誤っていたりしたので近藤医師がそのへんをわかって自分をなぞらえていたら大変おもしろいんですが、そうじゃなくて「否定的な権力者に逆らって主張を続けた」のがカッコいいという意味でしょうね。

こんなことも言っています。

誰一人として『がんもどき理論が間違っている』事を証明できていませんし

逆にこういうのを不誠実な言説だと捉えることができるかどうかが医者に殺されない秘訣なんじゃないかと思ったりします。「正しいったら正しいの!ソースはオレ、根拠はオレ」というのは医療というよりは宗教でしょうね。宗教が人間を救うことがあるという意味では決して間違いではありません。

過剰な医療に頼らず病気を受け入れよう、というのは生き方として一つの態度ではありますし、それを「そうとわかって」選択する人のことを否定的に考える必要はないと思っています。けれども、「治したい」という意志がある人におかしな治療を行うってのは人生に対する冒涜的行為じゃないかなって思うんですよね。