インターネットの自由はインターネットの自由によって殺され、後に残るのは既得権益という未来予想図
去年のアイスケース炎上事件からの一連の流れはウェブサービスそのものを大きな社会問題として捉えるに十分なインパクトではあった。
そして本題と外れるところとして、俺がここしばらく思っているのは現状のフラットすぎる状態の揺り戻しがどこかで来るのでは、と言うこと。その揺り戻しがどんな形で現れるのかはさっぱり予想が付きませんが……
「地獄インターネット」なるものについて - 偏読日記@はてな
それこそもう何年も前から予言している話ではあるが、リテラシー依存(つまり自己責任)という錦の御旗の元に問題が起きることが想定されても利便性を取る(そしてそれを批判するとイノベーションの阻害だと言われる)ようなサービスを生み出してき続けたここ数年のウェブはついに「規制」という形でひとつの時代の終焉を迎えるんじゃないかと思う。そして、その終焉とともに既得権益(と一部の規制をモノともしない反社勢力)の勝利が確定してしまうかもしれない。自由を叫び続けていたものがついにその自由を失った時どこに行くんだろうか。インフラの上に(バーチャルに)インフラを引くようなことになるかも知れず、それはそれで別の勝利ではあるが。
極端な予想ではあるが、僕はこういった「規制」が起きることを楽観視していない。自由なサービスの提供は阻害されるだろうし、それは「format c:」を記載したテキストファイルが悪質なウイルスとみなされるような悪夢のような世界かもしれない。
「俺達のインターネットはそうじゃない」
バカにはPCは使えないはずだった。バカにインターネットは使えないはずだった(そして紛れ込んできたバカがしばしばやらかして捕まっていた)。それは過去のことだ。インターネットは(賢い人のために)オープンであり、(賢い人にとっては)危ない場所ではなかった。現実は、インターネットがナニモノであるかなど気にしない程度のリテラシーの持ち主が、携帯の写メとおなじ感覚でTwitterに写真を上げる世界だ。そこが自由で在り続けることはある意味では既得権益の主張である。
その現実を受け入れた時、もはやインターネットが「情報リテラシーがある人にしか使えない」場所ではなく、「情報リテラシーがない人のリスクを軽減させる必要がある」場所だということがわかるだろう。是すなわちバカをバカと蔑んで来た者達の敗北である*1。
どのような不自由さがこれからインターネットに付与されていくのか。そうならないようには何をしなければならないのか。予言が現実にならないようにするためには何をすればいいのか。今年はもう少しその辺りを真面目に考えていく必要があるのだと思う。
*1:僕もいまさらその例外であるとは言えない