「やりがい職」という免除機構

何を免除ってそりゃブラックさ加減をですよ。

低賃金構造自体をごまかさずに自覚した上で、その改善も含めてみんなで取り組んでいきたいと思います、ということをオープンに議論していこうという人たちを「やりがい搾取」と呼べるのかどうかは、もちろん難しい話になってくるだろう。居酒屋甲子園では「本気」という言葉がやたらと連呼されるけれども、連呼しながらも同時に彼らは「本気」や「夢」という言葉の危うさへの言及もしている。

批判のあつまっている「居酒屋甲子園」の実体には、報道などよりも複雑な味わいがあった(井上明人) - 個人 - Yahoo!ニュース

この類の話で難しいのは、僕達にとって人生とは何かというのが簡単には規定できないことにあります。ワタミみたいな人は仕事こそ人生(とか言いつつよろしく略奪愛とかしちゃってますけどね、昔)だろうと思うんですけど、趣味が人生だったり子供が人生だったりそもそも何が人生かワカラナイが生きるので精一杯だったり、いろんな人がいるわけです。んでもって、やりがい搾取されているからすなわち低収入かというとそれもまた違って、ある種の士/師業の人たちはリターンとして得られる金銭は見合っているものの、自分のために生きる時間を搾取されていることはよくありますよね。

こうなると、根本的には個人の価値観を仕事へ還元できないと解決不能な問題になります。僕はやり甲斐さえ得られえばいいので労働基準法を超えた労働をさせて下さい!というのが可能なのであれば、それはその人の選択といえるんですが、それが容易に実現できないのは「無理にそうさせられている」という問題が生じることと、「そうしたくない人の働き手としての価値を毀損している」という問題があるからですね。前者はわかりやすいですけど、後者は「低賃金の業種だからしょうがないだろ」的な話で隠されちゃいますよね。

で、ここでもう一つ問題なのは、この居酒屋甲子園みたいな話って、納得感の創出に一役買っているわけですよね。それでいいんだ!オレ頑張る!みたいなね。そりゃ洗脳されてくれればありがたいですよねー。

もちろん、よく訓練された詐欺師というのは、その程度の自己言及は華麗にやってのける。
あるいは詐欺師の自覚はまったくなく、中途半端に問題意識があるからこそ余計に性質が悪く、結果的に低賃金・過剰労働の構造をそのまま温存してしまうということは、これもまたよくあることなので、それはそれとして批判されるべきだろう。
ただ、そのような入り組んだ構造というのは、「搾取する詐欺師」と「搾取される馬鹿」によって織りなされるごく素朴な風景ではない。

批判のあつまっている「居酒屋甲子園」の実体には、報道などよりも複雑な味わいがあった(井上明人) - 個人 - Yahoo!ニュース

風景としてはでもやっぱり素朴なんだと思いますよこれは。お金の代わりに充足感を払う、というのはその充足感の受容体を持っていないとダメなので、それを作っているというだけです。

ともあれ、こういった類の人生を否定することは難しいですよね。であるならば、もういっそ「やりがい職」という職種というか契約体系でも公的に認めてみてはどうかと思いますよね。自分がいいって言ってんだから最低時給でも残業でなくてもいいんだよ的な。逆にその契約以外の人は労働基準法を厳格に適用してみるとかね。思考実験ですよ。念のため。

でもこういうの作ったら若者よりむしろ家庭に居場所のないお父さんとかがこぞって応募しちゃったりして人生の悲哀とかを目の当たりにしてしまうという社会にとってよろしくない影響が出かねないのでやっぱりダメですねw