居酒屋甲子園の論評エントリの追記を受けての追記

くどいタイトルですみません。昨日の言及先が追記エントリを書いたのでこちらも続きです。別に論争を挑んでいるわけではありませんが、僕の感じたこととズレていることが多いので言っておきたいというだけです。

居酒屋甲子園」で喋られていたのは、言葉の安っぽさだけではなく、ある種の明晰さ、配慮をする能力の高さを感じる発言の多さ、そして離職率や労働環境改善への強い意志だった。居酒屋甲子園にあらわれていたこれらの特徴は、ブラック体質の企業を支える人々の優しさや明晰さによってもたらされる複合的な結果なのではないか、と思う。そこは、とても「善良な人たちの世界」であるように感じられた。

居酒屋甲子園は、どのように批判されるべきか。(井上明人) - 個人 - Yahoo!ニュース

端的にいうと「洗脳されてなければついていけねーよ」という世界の構築なんですよね。これを善良と呼ぶかという問題。まあ括弧をつけているというのが文字通りの善良ではないという意味合いと捉えておきます。

そして、そのような善良で、ある程度の明晰さを備えた人々は、適切な批判をされれば、適切に答え、過酷な労働環境を改善するための原動力としても機能する人にもなりうるのではないだろうか。そのように感じた。

居酒屋甲子園は、どのように批判されるべきか。(井上明人) - 個人 - Yahoo!ニュース

で、ここ。まず現実の問題として、その改善の方法論の一つの帰結が「居酒屋甲子園」である、というところに目を向けるべきであって、居酒屋甲子園が批判されるべき絶対的な理由はそこなんだと思うんですよね。要は居酒屋甲子園自体が多分に「雑」なものじゃないですか。そりゃあ批判も雑になるわな。

少なくとも、居酒屋甲子園の出場者の多数派は自らの労働環境をまっとうに改善したがっているように見えた。居酒屋甲子園出場者の少なからぬ人がそんじょそこらの人よりも、よほど労働環境の改善を真剣に考えている。そのことは、広く知られるべきだろう。

居酒屋甲子園は、どのように批判されるべきか。(井上明人) - 個人 - Yahoo!ニュース

ここも重要。確かに給与体系の透明化とか成果主義とか大事かもしれないけど、そもそもそんじょそこらの人が労働環境の改善を真剣に考えていないのは、それほど必要がないからにほかならないという事実がまずありますよね。いや、そうでもないかもしれないけど…
事例を見て思うのはその改善の中には少なからず「やりがいの創出や増大」が含まれているようにも見えます。

後半の労働基準法云々の部分はわからんと言っているのであえて言及しません。でもこれのせいで批判すべき点がよくわからなくなって客観的に見ると「雑な擁護」にしか見えないのに「雑な批判」を批判しているってのが今回の記事の問題だったんじゃないかなって思いますよ。
結果的に、なんとなく肯定的な面をクローズアップしているようになっています。「真剣に改善を考える」と「熱狂」の相性はよくない相乗効果を産み勝ちであり、ブラックな現状を否定しながらブラックな解決策を創出し、自分たちで考えたんだからブラックじゃないと思ってしまう罠(これがブラック体質の創業者とかにもありがちな思考回路)にハマってしまうのではという、「居酒屋甲子園という場」自体の批判は雑であっても積極的に行うべきことだと思うんですよね。対抗する熱が必要的な話で。

居酒屋甲子園みたいな取り組みって、すごく面白い部分はあるんですよ。ある意味ハッカソンみたいなものですよ。そういうものが待遇とか労働環境に結びついてしまう現状はとても不幸な状況であり、開催する前提条件を満たしていないとも思うわけです。
自らの労働環境をなんら懸念することなく、社会貢献への取り組みとか、お客さんを楽しませるお店づくりとかを熱く語れる、そういう業界になってからやってほしいと切に願います。