割烹着狂想曲〜政治的に正しくない報道の機能性とは

メイロマさんによるとリケジョは差別用語だそうで…
http://wirelesswire.jp/london_wave/201401310211.html

僕の出身高校ってわりと理系よりというか理系が強い高校で3年生で文系コース理系コースにわかれると4:5くらいになるんですよね。当然というか時代的にも理系は男子比率が多かったけど、女子もそれなりに居て(特に薬学部目指している人は女子が多かったな)、理系女子が特別という感じはあまりなかったんですよね。文系でも十分理屈っぽいしwそういう場で「理系女子」ってのは単に記号でしかありませんでしたね。

リベラルでフラットな感じのところで育っていると差別的な視線があることに逆に鈍感になるってことはあるのかもしれませんが、理系コースの女子たちは大学入ると男女比の関係からチヤホヤされがちでまんざらでもなかったご様子。

研究の世界ではアウトプットに性差がつくわけではありませんから、「女性だから」ということは大きな意味を持たないのが原則ですけど、社会の構成員としての女性研究者という立場を考えると何かと不利なことは多いと思いますよね。結果として中性的なイメージを持たないとやっていけないようなこともあるのかもしれないです。

そういう意味では、今回の件にかぎらず「女性的」なパーソナリティーが偉業を成し遂げる、ということは僕は重要な社会に対する問題提起でもあると思うんですよね。メディアがそういう意図で報道しているとは欠片も思いませんけれども、研究職において女性であることを抑圧されなくてもいいのだということを結果で示した小保方さんはその道を志す女性諸氏を強く勇気づけたんじゃないでしょうか。今の依然として男性社会から脱却できていない日本の現状を考えると、彼女の女性性を強調することは(彼女個人については申し訳ないことかもしれないけど)ものすごく重要な事だと思うんですよ。

日本のメディアってそういう意味では「国際的な基準での政治的な正しさ」による統制が取れていないことがかえって問題をあけすけに見せてくれるという世界でも稀有な存在なのかもしれません。こんな形で報道したらどう考えても「日本ってまだ性差による待遇の差が強いんだなー」って思うわけじゃないですか。そしてそれを乗り越える強い人間がものすごい成果を上げたということも見えるわけじゃないですか。

全然褒められた話じゃありませんよ。ただ、今の日本社会(特にモラリストであらねばならない階級)が悪い意味での伝統回帰しようとしているような状況で報道が政治的正しさをきちんと適用して問題を隠蔽し見せかけの平等を強調するくらいなら3の倍数でバカになって現実をあけすけに晒すくらいのほうが社会にとって有益かもしれません。報道を政治的に正しくすれば現実の差別が直ちになくなるって話なら別ですけどねー。